画家の死後:内藤瑶子の生前日記

自称絵描き|内藤瑶子のナイトー自身による、活動報告のブログです。/ 東京近辺で活動中。詳しいことはhttp://yokonaito.info/へ。

【告知(と無駄話)】「第40回人人展」特別陳列「連続する在野」、追悼展示:松 三郎

いろいろと「第40回人人展」の内容が固まりつつあります。(まだ自分の展示内容はフワフワのままなのですが、大汗)
今回の図録の表紙は山下菊二の『昭和20年・夏』(油彩 1974年)。
画集を確認すると、けっこう大きい作品です。展示が楽しみです!
 
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山下菊二の「あけぼの村物語」が東京国立近代美術館に収蔵されたのは2013年(最近!)だそう。オンラインで無料配布している『現代の眼613』に論考が二本掲載されており、興味深く読みました。ひょっとして、この図録表紙の作品もどこかの美術館の常設で見ることになったりして?
美術館に作品が入りきらないのかしら。

この表紙絵のタイトルである昭和20年(1945年)の夏とは、まさに原爆が投下され、敗戦する最中。この『現代の眼613』の二番目に載っている「告発と眼差し 」という文中で指摘されていることを踏まえれば、この『昭和20年・夏』を見ている我々もまた、何かを告発されているのでしょうか。 

引用するより読むが易し。短いので、興味のある方はご一読おすすめします。
 
 
人人展・会が当初「反体制」というスローガンとともに認識されたのは、山下菊二の存在が大きいのではないでしょうか。この絵の図柄や70年代からの「反天皇制シリーズ」などもあわせると、私の浅〜いリベラル耳学問による判断でも、どう考えても吉本隆明とかが浮かんできます。

*1

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画集などを確認すると、山下菊二天皇制につらなる根源的な権力構造の問題、犯罪性(山下菊二の考えによれば、民衆のあいだの階層分化にもとづく差別構造と対応するらしい。。)「加害者としての自己を生んだ基板」と対決し続けたとされているらしい。
それに対して、最近「人人展」に出品している作家さんの作品を拝見すると、隠され見過ごされてきた根源的なもの(たとえば土着の神々や妖怪)、伝統的なものなどを取り上げて、賛美するとまではいかないまでも、どちらかと言えば肯定的にとらえなおそうとしている作家さんが多い(ような気がする)。
戦中戦後の絵や考え方からなぞっていくと、時代の変化を感じました。
 
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 追悼展示は2014年に逝去した松三郎。享年76歳。
1999年に人人会に参加し、14年まで出品を続けていました。
表現主義的で激しい画面と、ドラマチックで無頼な生き様が印象的な方でした。
 
松さんとは、生前何回もお酒を共にしたことがあるけれど、いつも松さんが酔っ払いすぎていたから、殆ど会話らしい会話をしたことがなかった。でもその点は不思議と悔いはないような。
その酔った存在のみで伝わり過ぎているところがある。
松さんのことを思い出していると、我々が必死で重ねている言葉や議論に一体どんな価値があるのだろうと思ってしまう。

人人会のメンバーは、かなり強力な作品を前にワサワサしております。

 

*1:

ちなみにこの吉本隆明考え方自体は「コレで左派ってなんでなの?むしろ保守じゃん!」と実は思っていた。

 その後「この著作を 、 『新左翼の理論家としての吉本 』を知らない現代の読者が読めば 、神話学と民俗学をベースにした文芸批評か政治思想の本としか思えないだろう 」「吉本の経歴とは関係なく 、このテクスト自体から 、政治的メッセ ージを直接的に読み取ろうとすれば 、むしろ社会主義革命の不可能性を示唆する保守的な思想が垣間見えるだろう 。」と書いてあったこの本に膝をうったのだった。どうやら流れを知らなさすぎなのだった!(◎_◎;)