安部公房の美術批評「ぼくとしては、この際すべての美術家に、いっそ自殺をすすめたい。」/ 展示またあります
最近、山下菊二の資料を某筋から頂きました。(別に隠すようなこともないのだが)
1953年から没後も含めて1995年くらいまでの、当人の原稿と言及されたテキストが網羅されている、かなりのボリュームのもの。
でも最近慌ただしかったので、いろいろ読み込む時間がありません。
誰か資料を探している方がいたら、ご連絡いただけたらと思います。
ちなみに今、個展開催中。鎌倉でもグループ展がありますので、よろしくお願いします!
◉2018年11月1日(木)〜11日(日)鎌倉ドゥローイングギャラリーです。記事の末にも情報を載せました。
ひときわ目立つ文章が、1963年の展示、青木画廊「池田龍雄、中村宏、山下菊二」に寄せられた安部公房の文章。
最近、ぼくには、美術というものが、ますます理解しがたい存在になってきた。どうやら、現代の画家たちは、自分の存在理由を見つけ出そうとする願望と、逆にすべての存在理由から逃亡したいという絶望とのあいだで、無残にひきさかれ、美の殺害者としてふるまう行為そのものに、かろうじて想像のよりどころを探し当てているかのようである。
こうした傾向が、鑑賞者の拒否にたどりつくのは、むしろ当然のなりゆきだろう。そうかと言って、見てくれるな、触れてくれるな、と絶叫しつづけている類の作品には、観賞用作品におとらず、白々しい思いをさせられる。拒絶の商品化くらい、じつは時代の精神状況の盲点につけ入った、小ざかしい商法もないのだから。
ぼくとしては、この際すべての美術家に、いっそ自殺をすすめたい。
(全てカタログより)
自分は初見ではなく、針生一郎『戦後美術盛衰史』(p139)で引用されていたのを以前読んでいて、なかなか過激なので印象に残っていたものでした。
この針生さんの著作自体は、ざっくばらんで楽しい本なのですが、引用元が詳しく書いていないので(索引はあって便利なんだけどね)原文全体はどんな?と思っていたんですよね。
*1
早速確認してみてびっくり。ほぼ全文が引用されていた。短いものだったんですね。こんなにデカデカと。
パンフっぽい感じでしょうか。確認するところ寄稿はこれ一本。
しかし、画廊でやる段になってこの文章。当然、展示販売もしていたはずで。。
これは宣伝としてはどうなんだろう。。。。
アヴァンギャルドの自己矛盾をつく批判展開は、ざっくり世界的には20世紀の初頭にはあったろうし、当時の日本でもそんなに珍しいものではないと思う。しかも、政治と前衛との関係が取り沙汰される時代で、少なくとも作家陣は啓蒙的な作品でも知られている。池田さんなどは芸術運動の同志だったこともあったはずですよね。
その上で「拒絶の商品化」をどう解釈するか。
とりあえず、画廊の展示パンフレットとしてはKYな文章あることは間違いない。しかし、印象的に感じてしまうものですね。
ちなみに針生さんはこの文章を「美術における自己表現と伝達の分裂」についての正確な指摘」と絶賛しており、50年代における作品販売の問題意識とつなげて紹介している。
「芸術的価値と商品価値の矛盾」「作り手とコレクターの直結」などは好景気であった時に比べて切実なトピックになっていると思う。この『戦後美術盛衰史』の扱う情報は、とても面白いのでお勧めします。
ちなみにこの話には先があって、偶然、当時この企画の間近にいた人にお会いする機会があって、当時の状況をいろいろ聞くことができたのです!
やっぱりいろいろあったようで「依頼した手前、掲載しないわけには……」という事情もあったようですね。
やっぱりザワザワしていた様子。
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その後、21世紀の初めには村上隆さんが『芸術起業論』で美術大学などを揶揄しつつ
「エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語りあうだけで死んでいける腐った楽園」と仰ることになる。
なかなかの熱い展開に、しばらくこの手のパンチラインを集めてしまいそう。
でも、当の私は「絵画作品=前衛芸術」とも考えていないし、「画家=絵で食えている(べし)」とも思っていないので、とりあえず自殺は考えていない!
そして、まったく左翼ではないけど、ちょっと昔のファンタジックな芸術論はかなり好きです。
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鎌倉駅近くにて、山内若菜さんとの2人展があります。🙇♀️
◉2018年11月1日(木)〜11日(日)
10:00〜18:00 ※11月5日(月)休廊
◉会場:鎌倉ドゥローイングギャラリー(鎌倉駅西口より徒歩5分)
kamakuradrawing.com
地元近くの憧れのギャラリー✨そして、神奈川にて初紹介!です。お近くの方ぜひ〜
*1:ちなみに、この文章は青木画廊の画廊史『一角獣の変身』にも収録してあるようです