展示終了とこれから / SF、ショーペンハウアー、ジンメル、最近の読書。
羽黒洞でのワークショップと小展示、今回も無事終了しました。
3日間で刷った回数は、100枚を優に超えています。沢山の方々に制作していただき、うれしかったです。支えてくださる皆さまに、感謝いたします。
これから秋にかけて、藤沢市のギャラリーでのグループ企画、京橋・TーBOXで個展を開催予定です。
いつも好き勝手やってはいるものの、企画してくださる方の厚意にもこたえられるよう、鋭意制作しております。
夏の読書は、飲み屋の顔なじみに教わったSF話題作『三体』が超超衝撃の面白さでした。
「宇宙は空っぽの大宮殿で、人類はその宮殿の中に、たった一匹だけいる小さな蟻。」*1
こういう表現がまた鳥肌もの。ちっぽけな地球文明にいる蟻の叫びが、違う銀河系の苦しみと共鳴する……!そんな壮絶な苦の物語で、この宇宙レベルの限界状況、まじハンパないっす。
はやく続編の翻訳が出てほしいー
「苦」といえば。
なんだかブログによく載せるウェルベックの小説ですが、今度はウェルベックによるショーペンハウアーの注釈書が出たという。
たしかにモロな取り合わせだな!と盛り上がりましたが、中身は思いのほか普通かな?
ウェルベックによれば
「彼(ショーペンハウアー)の哲学思想の核、真に革新的な原理は、概念の領域には属していない……むしろ反対に、彼独自の直観のうちにあり、その本質的な性格は芸術的なもの」(67頁)
確かに、このショーペンハウアーという人は、「芸術を哲学している」わけではなくて、「この人の思想自体が本質的に芸術」なんですよね。なのに、哲学思想としても存在する。そこがすごいところ。
ここ何年か、この著者の先生の講義を聴講しているので、やや洗脳されているのかもしれませんが(!)このウェルベックの内容と通じていて、且つこちらが圧倒的に詳しいのでおすすめします。
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ウェルベックは、ショーペンハウアー思想を「元気が出るペシミズム」と考えているらしい。
ショーペンハウアーは、実に当たり前なこと、たとえば「この世の中ってけっこー絶望的だよね!おぞましいよね!」という真実を、とてもフランクに語ってくれる。
「悲観主義」って言葉に似つかわしくない、妙に軽快なところがあって、不思議と共感しやすい。スッキリさせてくれるところもあるかもね。
(そこはやっぱり客観的な論証による効果なのかもしれないけども)
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あとは何かあったか。
阿閉吉男訳、ゲオルク・ジンメル『戦争の哲学』をネットで買って読みました。
相変わらずこちら方面はたくさん読んでいます。
いつも酒盛りで、私のジンメルファントークに付き合わされている友人連には、まだまだ迷惑がかかりそう (^^)
戦争の「効能」を謳いもするこのエッセイ集。
今じゃ炎上する内容だからなのか?引用されているところをあまり見かけません。
著作自体は、第1次世界大戦終結以前のものですが、日本では1943年に翻訳が発行されていて、初版5000部刷られているもよう。
まさにアジア・太平洋戦争の戦況悪化の最中に、どんな風に読まれたのか?気になりますね。
収録されている「文化の危機」*2というエッセーなどは、特にこの人の並外れた所がよく出ていると思う。
ジンメルは『貨幣に哲学』という著作で、万能なメディアとしてお金を分析したことが功績としてよく知られているのですが、この文章はそこから地続きで論じられている部分がまたいいです。
ジンメルの主な指摘は、戦時体制はいきすぎたマネーゲームをご破算にしてくれる効能がある(!) ということ。その論理展開はかなり圧巻なのですが……率直な感想として、あまりにも代償が大きすぎるわりに、2度の世界大戦を経ても、お金問題はリセットどころか、高度な金融経済と格差問題が継続中。これ、どうかね。とも思ったり。
よく考えてみると、現代の「戦争」は革命の手段ではなくなっているけれど、実はずっと続いていて、誰もが巻き込まれてしまっているのかもね。
戦争も文化(形式)となる。と、そこでジンメルなら言うかもしれないな 🙄
ワークショップ+小展示。個展やります〜
今年も湯島の画廊・羽黒洞(http://www.hagurodo.jp/)でワークショップやります!
「おとな羽黒洞・こども羽黒洞」のシリーズでは、3回目となりました。今回は紙ではなく、エコバックに版画を刷ります。
あと、今回は旧作の大型作品+新作の小品版画による小展示をさせていただくことになりました。嬉しい!羽黒洞で展示するのはとても久しぶりです。
折角なので3日間くらいやろう、と言うことで……8月7日(水)・8日(木)・9日(金)11:00~18:30、この会期中は私が店番しつつ、プレス機動かしつつ、と言うかんじで開催予定です。
布に絵を描こうとすると、染みこみやすく、絵の具の伸びも悪いので、なかなか思ったようにいかないことも多いです。
今回ワークショップで作る版画は、あまり細かい描写はできないのですが、筆の跡がはっきり写って面白いですよ。プレス機なかなか使えるな!と楽しんでいただけるはずです。ぜひ体験してみてくださいね。
大人は子供には「子供らしく」、自由にノビノビしてもらいたいと思うものですが、息子なんかを見ていると、基本が自由なもので、逆に「大人をアッと言わせるような完成度のものを作ってやる!」という野望を持っていたりするものです。
(そういえば当の私も、幼稚園児の時、創作性云々よりもまず図鑑をそのままそっくり写すことに熱中していました。)
なので、私は大人の勝手な子供への投影より、どちらかと言うと子供の「大人っぽくしたい」という欲望を後押ししたいなーなんて思っています。
なので、ワークショップとしても、いろいろなテクニックやメカを使えば、自分の力量を超えていけるんだ!と盛り上がってもらいたいなぁ。それが本来の文明・文化の役割ですからねー
いつも、大人の参加者のほうが、童心に還っていたりします\(^^)/
画家 内藤瑶子さんと作る・描く・刷る
「プレス機を使って版画でエコバッグを作ろう」
毎回ご好評いただいている内藤瑶子さんの版画ワークショッ
プ。 今回はオリジナルエコバックを制作します。
布に絵を描くと、ゴソゴソしたり…
絵の具がうまくつかなかったり…実は大変。 プレス機を使った版画で、いつもと一味違う作品を作ってみよう。
とても簡単な工程ですので、小さなお子さんから大人まで、
気軽に参加いただけます。
できるもの:
オーガニックコットンの版画エコバック
サイズ31cm× 27cm(A4も入る使いやすいサイズです。)
版作りから完成まで30分くらい。
手や筆で着色します。
絵の具ののせ方で色々な表情が出てくるよ!
表と裏、両面に印刷できます。
■日時:2019年8月7日(水)・8日(木)・9日(金)11:
00~18:30 ■場所:羽黒洞
■費用:1人2000円(付き添いのみの方は無料)
※小学生未満は、付き添いの方とご参加ください。
※絵の具を使いますので、汚れてもいい服装でお越しください。
お問い合わせ:090-6130-4009(富野)haguro
do@gmail.com
「団扇と風鈴展」@ギャラリーアビアント/最近行った大型展の感想
更新をご無沙汰している間に、リン版画工房の展示、それから銀座のギャラリー枝香庵でのグループ展「絵と音楽と響きあうほどに」、2つの展示が無事終了しています。関わってくださった皆様に感謝申し上げますm(._.)m
それにしても、宣伝もせず、一体何のためにブログを開設してるんだろ……?
でも、最近はちょっとオタクっぽい内容を読んで声をかけてくださる方もいて、うれしいです!
とりあえず、日からは毎年恒例となっていた「団扇と風鈴展」@ギャラリーアビアント(http://abientot.main.jp)に、それぞれ2つずつ、計4点出品します。浅草の朝日アートスクエアの近くです。
今年で10回を迎えるとのことで、ひと段落つける(来年はやらない?)と聞いています。
皆さん奮って遊びに来てくださいね。
8月の7日、8日、9日は湯島の画廊・羽黒洞(http://www.hagurodo.jp)で版画のワークショップを開催します。今回はちょっと新作も展示予定です。
もう何回も来てくださっている方もいるので、ちょっと違った内容にしようかな?思案中。
最近行った大型展。
下記のほかには、西洋美術館開館60周年の「松方コレクション展」、平塚市美術館「空間に線を引く-彫刻とデッサン展」など。この彫刻展はあとをひく、衝撃の展示でした。
うまく言葉が出てきませんねぇ。絵を描くなら、彫刻しなきゃダメなんじゃないのか。。やばい。。と思ってしまう、そんな展示でした。
■「―THE BODY―」町田市立国際版画美術館
ひどい土砂降りの中、町田駅から徒歩で片道20分。その後の予定もあって、滞在できる時間はわずか30分。雨の中歩いているほうが長かった(泣)。
特に印象に残ったのは第1部のデューラーの展示。彼のウィトルウィウスのカノン研究がどのような作品に結実したのか。その1つが有名なエングレーヴィング作品《ネメシス》で、カノン研究の中でも、デューラーによる人体はやっぱり抜群にかわいかった。
今考えると滑稽な研究なのかもしれませんが、現実と微妙にずれた身体の形が、むしろ個人的な理想の世界へ連れて行ってくれるような、そういう魅力がありました。
一方、デューラーが参考にしたと思われるルネサンス時代に刷られていたウィトルウィウス『建築論』の挿絵は思いのほかユルイ(笑)
ラテン語、イタリア語、ドイツ語と何冊か展示されていたのですが、ウィトルウィウス的人体を比べて見られるのが面白かったです。何れにせよ、知恵を絞って考えられていたんですね。
■「絵を見るとき、あなたは何を見ているの?」栃木県立美術館
旅行の滞在先の近くにあったので立ち寄りました。
落ち着いた美術館で、山岡コレクション……(http://www.art.pref.tochigi.lg.jp/exhibition/t140111/virtualtour/index.html)渋いぜ。。近くにあったら通いたい美術館です。図録の文章も面白いので、今回のを含めて何冊か買ってしまいました。
藤田嗣治の「おかっぱ頭姿としては最初期」(!)の自画像が発見されたとのことで、お披露目されていました。アメリカに渡る友人・桑重儀一のために描かれた寄せ書きで、パリに滞在していた山本鼎、島崎藤村らと一緒に描いたものらしい。
藤田嗣治といえば、そろそろ笹木繁男さんによる藤田研究の集大成とも言える著作も刊行されますね。下巻は未だだそうですが、上巻は取り扱っている画廊などで見られます。「団扇と風鈴展」のアビアントさんにもありましたよ(宣伝♫)
展示終了/お礼と麗子
もう数ヶ月前のことになってしまいましたが、「第43回人人展」無事終了しました。
今回もご来場いただいたお客様、ご協力していただいた皆様に勇気づけていただきました……(^^) お礼申し上げます!
今回は、ART TRANSITさんの企画による観賞するツアーにトークで出演する機会にも恵まれまして、いろいろと作品の前で喋ったりしました。
企画してくださった方が、丁寧にレポートも書いてくださったので、ご覧になってみてくださいね。
※※
今回の特別陳列は井上洋介展。
絵本作家として高名な方でしたが、人人展第2回(76年)から参加した画家でもありました。
弟子の山﨑克己さん(この方も展示に参加してくださっていて、紙を削る独特な画面を制作される方)によれば、
「俺流の人。」
(笑)でもほんとうにそんな人かも。
漫画、絵本、立体、絵画……ひるむことなく俺流を貫いている!
今回の出品作「童女図」。
内容からも、題名からいってもこれは麗子……@ 岸田劉生!?
なんで!?って思ったの私だけなんでしょうか。
ドクロの杖がやけにかわいいな!
杖持ってるということは、佐熊さんの絵へのオマージュなのかな〜
※※
ずっと気になっていたのですが、人人展には麗子的女性像(と便宜的に呼ばせてもらいましょう)がよくいらっしゃるような??
その最たる例が、佐熊桂一郎(1929-2006) 。延々と独特な女性像をモチーフに描き続けていた人です。
この人は、劉生に影響を受けていると言い切っていました。劉生の、いちばん妖怪っぽいやつ「野童女」なんか思い出します。*1
あとは斎藤真一(1922-1994)さん 。瞽女さんをテーマにした作品や著作で一世を風靡した画家です。どことなく麗子的か。
この方については諸説あり、軽々しくブログで書くようなことではないので、参考までに。
人人創立時のメンバーは8人。その中で、2人がこんな感じ。
改めて考えると、濃いですね。
※※
斎藤真一を瞽女を描く作家として世に出した画商・木村東介のエッセーに「麗子」に関する一節がありました。ちなみに、木村東介は人人展創設に大きく関わっており、佐熊さんの作品も購入していたそう。*2
減点になるはずの個所としてはっきりしているのは劉生のデューラー的なところ……彼のかいた麗子像は日本最高と評価されているが、これは明らかに初期浮世絵肉筆の湯女の図の感激から得た表現であり、極端に言えば油彩による初期浮世絵肉筆といっても過言でない。
他に激賞している部分は多々あったのですが、特に気になった点。
この木村さんにとっては一連の麗子像の「デューラー的な部分」は減点!なんですよね。
そして、初期浮世絵肉筆の油彩化だからこそ、「麗子像は日本最高」なんだと。
西洋⇆東洋、リアリズムなどなどに集約しきれない、含蓄のある表現です。
この人の美意識が端的にあらわれているな、と思いました。
ただし、このデューラー云々、浮世絵云々の影響・関連の指摘自体は前々からされていて(まず、本人もいろいろ文章を書いてますし)木村荘八や椿貞雄が同時代に、もしくは回想でも言及してるんですね。*4
そもそも木村東介は、画商として木村荘八も大きく取り扱った人でありますし、そのキッカケは椿貞雄の紹介だったそうな。
よくよく読んでいると、『白樺』→草土社と関わりの深い人物だったんですね〜
※※
そういえば昨年、羽黒洞で中村正義(1924-1977) が70年前後に描いたとされるバーナード・リーチ(1887-1979) の肖像を拝見しました。クロッキーです。
羽黒洞の主人・品子さんによると、バーナード・リーチは本国に帰国後、晩年に再来日して上野周辺に滞在していたらしく、羽黒洞や中村正義と交流があったようです。
バーナード・リーチは長生きだな〜!
中村正義の方が先に亡くなっています。
*1:『みづゑ』795、美術出版社、1971年4月、38頁。正確には(当時から)10年程前、劉生が好きすぎて絵が似てしまい困っていたが、今はあまり意識することはないとのこと。当ブログでも佐熊さんのモチーフ「おちかさん」について紹介しています。
*3:木村東介『ランカイ屋憂愁ー鬼才荘八追想記』羽黒洞、1982年。
これは、羽黒洞で買える小冊子なのですが、ホント面白いです。いつも美術館のコレクションで観る木村荘八が違って見えてきますよ(^^)ランカイ屋の機知あり、せつなさありです。
*4:こちらを参考にしています:木村荘八、 椿 貞雄 他『近代画家研究資料 岸田劉生 1』東出版 、1976年。ちなみに荘八は、「素描としてこれだけ深く行けばデューラーのものに並べてかけても決してひけ目はないと思う」とのことでした。
今年も「人人展」あります/最近読んだ本:「個人」と近代化。
1月後半からインフルエンザにかかって、そのあと1ヶ月くらいグズグズ。
その期間にあった沢山の展示・イベントに参上できなかった上、やるべき作業も積もり、結局どこにも行けない。やることが終わらないー
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さて、今年もまた人人展があります。サイトも更新しました◎
会期は3月25日(月)~31日(日)@東京都美術館です。
ちょうど、上野公園は桜の季節ですので、行楽のお供にどうぞ。
↓詳細はこちらのリンクで↓
最近は、生松敬三『森鴎外 (UP選書) 』とか、杉山二郎『木下杢太郎―ユマニテの系譜 (中公文庫)』とか、明治から大正にかけて西洋文化を積極的に紹介していた文化人(としていいよね。)関連の本を沢山読んでいます。
ここ数年はずっとヨーロッパ、20世紀初頭の個人主義や表現主義を中心に調べていたのですが、最近はそれらが日本の近代美術にどのように影響を与えているか、というのを主に考えています。
随分巨大な範囲だな!って感じですが、一つはゲオルグ・ジンメルという哲学者が好きすぎる……ということと、日本近代洋画が好きすぎる!という2点に尽きるんですよね。その交点が、まさに大正時代の(和製)疾風怒濤時代、生の哲学ブームというわけです。
しかし、森鴎外も保守なくせに「未来派宣言文」いきなり訳して紹介していたり、それでなんでハルトマンなんだ……でもこの人は本当に頭が良すぎて、驚く。
与謝野晶子は、ロダンに会って、感激して自分の息子の名前・アウギュストにしちゃうし……この人、ほんと飛んでるな!キラキラネームだね。
でも、キュビズムの重要作も持ち帰ったそうです。
芸術とは「かけがえのない個人」によるもの。という価値観を、良くも悪くも根付かせたムーブメントとして、『白樺』が筆頭としてあげられて久しい。でも、いわゆる視覚芸術だけでなくて、文学とか思想関連に範囲を広げて読んでいると、カオスが増してまた楽しいのです。
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そういえば、とある画廊で新刊『中村傳三郎美術評論集成』を長々と立ち読みさせていただき(すいません)、興味が出たので中村伝三郎「明治末期に於けるロダン」が載っている古書を購入して読みました。昭和26年の研究だけど、自分の興味ある部分がとてもまとまっていて良かったです。
『白樺』以前の、明治末期からのロダン信奉もトントン拍子な展開で、天才信仰の根はけっこう深い。
ロダンは、日本人が訪ねていっても優しかったようだし、こんな東アジアの僻地にいるファンに返信よこすとか、展示させてくれるとか、色々サービスしている。リアルタイムで向こうの作品が来るなんて、当時としては盛り上がったろうな〜と思います。
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最近、平野啓一郎さんによる「分人」という考え方が日本独特の「個人」として話題になっているんですね。積ん読中の『無責任の新体系 ──きみはウーティスと言わねばならない』とか、最近出たジンメルの入門書『ジンメルの論点』にもいきなり出てきてました。
そもそも日本には「個人」というものがない!とずっと言われてきているのに、なぜか芸術家には人生論や独創的な個性なるものを求めてしまうんですよね。これいかに。
そういや「精神」という言葉自体も、今のような意味で使われるようになったのって、そもそも文明開化以後だったような。「精神」とは日本にとって新しい概念なんですよね。
謹賀新年/近況と読んだ本。ヒトラーと京都学派。
もうこれを書き終わる頃には、新しい年がはじまっているような気がする。
いろいろな展示があまりにも立て込んでしまったため、なかなか更新に至らず。宣伝もあってブログ開設しているのに、本末転倒です!
今年も沢山の方々にお世話になりました。
この感謝を適切に表現するならば、もうアカデミー賞の受賞スピーチばりの大仰なものとなるでしょう!が、ともかく内藤を気にかけてくださった方々に改めてお礼申し上げます。
もう年賀も貼っちゃおう。
2019年も何卒よろしくお願いします。
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最近、ヒトラーが死ぬ直前に摂取していたドラッグについての本が出版されたらしく、ナショナルジオグラフィックでも関連番組が組まれていました。なにしろその番宣では「ウ◯コも食っていた⁉︎」と煽っていて*1、とても気になっちゃいました。
ちなみに番組の内容は、なんというか「釣り」でした。別にウ◯コを直接どうこうしたわけではなく、大便から培養させた大腸菌を使ったお腹の薬を服用していたとのことでした。(戦時中の覚せい剤はそんなに珍しくない話題かと思います。でも面白いテーマです。)
それから急にいろいろ気になってしまって、ヒトラーに関連した映画を毎晩いろいろと観てしまい、寝不足になりました。
子供が画面に映るたびに、私の息子がこんな境遇になってしまったらどうしようと。とにかく辛くなります。
でも一方で、ヒトラーがワーグナーだとか、ニーチェとかゲーテのことを語っている場面ではどこかで心を動かされてしまう自分がいます。なんか、やっぱりすさまじいです。
(ちなみに、ヒトラーは全然ニーチェを読んでなかったんじゃないか?って話も。。。)
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そういえば、最近読んで面白い本がありました。「国のために死ぬ/死なせる」という理屈について扱った本。京都学派の第1世代、田辺元という哲学者の「悪魔の講義」を読みつつ解説するというものです。
京都学派自体が、アジア・太平洋戦争の侵略戦争的な部分に、倫理的な側面を持たせる、言わば「侵略を正当化するためのレトリック」にかなり力を及ぼしていた!というのはよく知られているのですが、それにしてもこの田辺元という学者は、本当に、本当にスーパーエリートですよね。すごい人。
こんな人が若者を戦争へと煽っていたなんて、怖い話です。
ちなみに、この人はかの有名な九鬼周造『偶然性の問題』の元になった博士論文の審査を受け持った教官でもあるらしく、今じゃこの「偶然本」を執筆する大きな要因になった、なんて言われたりしてます。*2
こういう思想の熱さや深さと、薄ら寒い軽薄さ、きな臭さって紙一重ですね。それがよく表現されている本です。
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それにしても、この著者・佐藤優さんは月刊ベースで本を出している、という印象で、いまだに何屋さんなのかよくわからない。
おじさん向けのハウツー本を書いているのかと思いきや、ウェルベックの解説を書いていたりする。 なぜか上の本と同時期に読んでました。
話は『素粒子』のほうが面白かったかも。
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京都学派といえば、まずこっちをゲンナリさせる文体 + オリジナル難解用語。
しかも、実存・生の哲学・プラグマティズム・現象学……etc、当時勃興していた西洋思想をガッツリ組み込んでいて、それらを把握するだけでも骨が折れるどころか、さらに独自路線もあり。そして時代背景が戦中〜戦後。
その複雑さたるや、まさに白目必至。
でも、日本に生まれ育って、西洋の近代思想体系に興味を持つってことは、これは絶対通る道。なのか。
……そう感じている最近です。
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この京都学派の理論を中国の政権関係が研究しているっていう話は面白かった。
侵略戦争正当化のレトリック ≈ 急進的中央集権。たしかに形は似てる。
安部公房の美術批評「ぼくとしては、この際すべての美術家に、いっそ自殺をすすめたい。」/ 展示またあります
最近、山下菊二の資料を某筋から頂きました。(別に隠すようなこともないのだが)
1953年から没後も含めて1995年くらいまでの、当人の原稿と言及されたテキストが網羅されている、かなりのボリュームのもの。
でも最近慌ただしかったので、いろいろ読み込む時間がありません。
誰か資料を探している方がいたら、ご連絡いただけたらと思います。
ちなみに今、個展開催中。鎌倉でもグループ展がありますので、よろしくお願いします!
◉2018年11月1日(木)〜11日(日)鎌倉ドゥローイングギャラリーです。記事の末にも情報を載せました。
ひときわ目立つ文章が、1963年の展示、青木画廊「池田龍雄、中村宏、山下菊二」に寄せられた安部公房の文章。
最近、ぼくには、美術というものが、ますます理解しがたい存在になってきた。どうやら、現代の画家たちは、自分の存在理由を見つけ出そうとする願望と、逆にすべての存在理由から逃亡したいという絶望とのあいだで、無残にひきさかれ、美の殺害者としてふるまう行為そのものに、かろうじて想像のよりどころを探し当てているかのようである。
こうした傾向が、鑑賞者の拒否にたどりつくのは、むしろ当然のなりゆきだろう。そうかと言って、見てくれるな、触れてくれるな、と絶叫しつづけている類の作品には、観賞用作品におとらず、白々しい思いをさせられる。拒絶の商品化くらい、じつは時代の精神状況の盲点につけ入った、小ざかしい商法もないのだから。
ぼくとしては、この際すべての美術家に、いっそ自殺をすすめたい。
(全てカタログより)
自分は初見ではなく、針生一郎『戦後美術盛衰史』(p139)で引用されていたのを以前読んでいて、なかなか過激なので印象に残っていたものでした。
この針生さんの著作自体は、ざっくばらんで楽しい本なのですが、引用元が詳しく書いていないので(索引はあって便利なんだけどね)原文全体はどんな?と思っていたんですよね。
*1
早速確認してみてびっくり。ほぼ全文が引用されていた。短いものだったんですね。こんなにデカデカと。
パンフっぽい感じでしょうか。確認するところ寄稿はこれ一本。
しかし、画廊でやる段になってこの文章。当然、展示販売もしていたはずで。。
これは宣伝としてはどうなんだろう。。。。
アヴァンギャルドの自己矛盾をつく批判展開は、ざっくり世界的には20世紀の初頭にはあったろうし、当時の日本でもそんなに珍しいものではないと思う。しかも、政治と前衛との関係が取り沙汰される時代で、少なくとも作家陣は啓蒙的な作品でも知られている。池田さんなどは芸術運動の同志だったこともあったはずですよね。
その上で「拒絶の商品化」をどう解釈するか。
とりあえず、画廊の展示パンフレットとしてはKYな文章あることは間違いない。しかし、印象的に感じてしまうものですね。
ちなみに針生さんはこの文章を「美術における自己表現と伝達の分裂」についての正確な指摘」と絶賛しており、50年代における作品販売の問題意識とつなげて紹介している。
「芸術的価値と商品価値の矛盾」「作り手とコレクターの直結」などは好景気であった時に比べて切実なトピックになっていると思う。この『戦後美術盛衰史』の扱う情報は、とても面白いのでお勧めします。
ちなみにこの話には先があって、偶然、当時この企画の間近にいた人にお会いする機会があって、当時の状況をいろいろ聞くことができたのです!
やっぱりいろいろあったようで「依頼した手前、掲載しないわけには……」という事情もあったようですね。
やっぱりザワザワしていた様子。
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その後、21世紀の初めには村上隆さんが『芸術起業論』で美術大学などを揶揄しつつ
「エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語りあうだけで死んでいける腐った楽園」と仰ることになる。
なかなかの熱い展開に、しばらくこの手のパンチラインを集めてしまいそう。
でも、当の私は「絵画作品=前衛芸術」とも考えていないし、「画家=絵で食えている(べし)」とも思っていないので、とりあえず自殺は考えていない!
そして、まったく左翼ではないけど、ちょっと昔のファンタジックな芸術論はかなり好きです。
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鎌倉駅近くにて、山内若菜さんとの2人展があります。🙇♀️
◉2018年11月1日(木)〜11日(日)
10:00〜18:00 ※11月5日(月)休廊
◉会場:鎌倉ドゥローイングギャラリー(鎌倉駅西口より徒歩5分)
kamakuradrawing.com
地元近くの憧れのギャラリー✨そして、神奈川にて初紹介!です。お近くの方ぜひ〜
*1:ちなみに、この文章は青木画廊の画廊史『一角獣の変身』にも収録してあるようです