画家の死後:内藤瑶子の生前日記

自称絵描き|内藤瑶子のナイトー自身による、活動報告のブログです。/ 東京近辺で活動中。詳しいことはhttp://yokonaito.info/へ。

「人人会」のウェブサイトを制作しました!/美術グループのあれやこれや

私が所属する美術グループ「人人会」のウェブサイトを制作しました!
コンテンツもまだ少なく、完全なる素人芸。何か変な所があったら、コッソリ一報下さい…。いろいろと心配ではあるのですが、下記アドレスにて公開中です。
ここ最近、東京都美術館を借りて活動する団体は、インターネットを通じて情報を公開したり、公募したりすることが必要不可欠となっているようです。
 
せっかくなので、簡単に(といっても、けっこうな文量になってしまいましたが)このグループと私の関わりなどご紹介します。もし良かったら読んでみてください。敬称は略しています。

◉「人人会」とは

「人人会」は1974年に日本画家の中村正義を中心に、星野眞吾・山下菊二・大島哲以・田島征三・佐熊桂一郎・斎藤真一、また評論家の針生一郎も関与するなど*1、実はそうそうたるメンバーにて設立された美術グループです。今年で第40回を迎えます。
現在は30人前後の作家が参加し、毎年春先(今年は3月2日から!)に東京都美術館で展示を行っています。
作家あたり5〜6mブースのグループ展+作家による展示企画(今風に言えばキュレーションなのか…)がドッキングした構成になっています。
 
 

◉「反体制」というスローガンについて

74年発足時にとり上げた新聞や、当時を物語るテキストを確認すると、反画壇、反権力、反体制…など、「反○○」という言葉が大きく目をひきます。*2
私はこの団体に関わる上で、こういったスローガンの現在について質問を受けることがたびたびありました。そのような話題で他のメンバーと盛り上がった記憶はありません。また、コンセプトの変遷は、イワユル日本左派の思想史と絡めて興味はあるのですが、今のところ何か結果結論めいたものもありません。
 
ただ、人人会は「反体制」が知的な態度だった時代の流れに華々しく発足した後も、東京都美術館をお借りする形で40回も着実に回を重ねて(しまって?)います。
「反体制」を謳ったこの展示が「公共の施設」に存在し続ける批評的なメッセージも変化していると考えるのが自然だと思います。
他の文章にも書いたのですが、美術運動体としてのグループというのは、10年が寿命とされているそうです。今はもっと短いのかもしれません。もちろん長く続けば良いと、そういうことではないでしょう。
 
反画壇、反権力、反体制…このように続けば、美術グループにとって、コンセプトとは単なる問題提起なのか?それとも「理念」の問題なのか?なかなか曖昧で、またそもそも美的な趣向・表現の同志の集いでもあって、それが思想の上でキッチリ一枚岩でいられるものなのか…現に人人会にもそういった摩擦が存在し、脱退や分裂の危機があったという記録もあります。またそれを経る上で、専門的でマニアック「絵師」的な画風を持つ作家が残ったことは、この会の運命を大きく左右したのではないでしょうか。
 
私自身は、社会運動系の考え方より、中心的な創立メンバーだった中村正義の「個を確立した作家」が「個でありながら連帯することを重要視する」という投げかけが、妙に気になっています。
美術に限らず、常に何かを超越する、ブレイクスルーし続ける原動力は「個人」に宿るもので、逆に「集団・グループ」というのは設立当初から充足していこうとする、守りに入って行く性質を持つもの。このような「個人・個性」vs「全体」という構図は別に私がひらめいたものでもなんでもなく、20世紀の初頭にはあった考え方で、そういった議論をふまえた思想が中村正義にあったのだろうか…?と思ったり。
個性的であろうとし、かつ全体へ向かって生きる「人間」の矛盾や葛藤。
著書などを読んでいると、この人の考える「美術」が時にとてもプラグマティックにうつる時もあって斬新に感じてしまうことがあります。

 

◉「場」としての人人会と私

私は美術大学はおろか、中学生からのドロップアウト組。社会からも断絶されており、運良くこの場所に半ば拾われるような形で出会いました。20歳前後で気づけばここらにおり、先人を尊敬こそすれ「発表場所ができたラッキー!」という感情が大きく、今更辺りを見回して「そういえば人人会ってナンダロウ…」となっているわけです。
今思えば多方面にご迷惑をおかけしたのだろうな、、と振り返ることも多く、この会の共同体的な性格に対する思いも格別なものがあります。
会の内部でも、0年代には人人会を「場」として考えるというトピックが存在*3しており、多かれ少なかれそういった意識を持って参加している方々が多いのではないでしょうか。
 
30代のメンバーもいるのですが、いわゆる大型公募展の例にもれず、高年齢化はしています。制作や活動のセオリーから、社会人としてのあり方まで沢山の作家さんの背中を見て学びつつ、もう何回も追悼展を目撃しました。
本当に不謹慎なのですが、作家さんが死んでいくのがとても神秘的で印象深く、影響を受けました。
作家活動には山あり谷あり、全てが全盛期!という人はそういないと思います。そして誰もが老て、低空飛行になって…となると、何かを作り出し、世に出し続けるって一体なんなのか?
意義のあるなしで考えれば、そもそも無駄とすれば全てが無駄なような気もしてくる。
じゃあ「よさげ」に生きること、作ることを人は試みなくなるのか。
 
当たり前のように誰もが自己表現をする時代で、淘汰の流れはとてもはやい。
その中で、十年をまたいでじっくりと作品を考えていく、そういうものに寄り添ったコミュニティがあって良かったなぁと思っています。
ちなみに今度の企画展示は「連続する在野」という題名にてビックネームから「最近死んだ人」😅までを特別展示します。

中村正義、星野眞吾、山下菊二、斎藤真一、大島哲以、三上 誠

佐熊桂一郎、平賀敬、佐藤多持、堀 越雄、沼沢 仁、大熊雅博…

楽しみです!詳しくは下記にて。

hitohitokai.org

 

 
 

*1:豊橋市美術館の説明ページに詳しいのですが:

人人会 | 豊橋市美術博物館

http://www.toyohashi-bihaku.jp/?page_id=912

*2:いろいろ調べていると、この会の設立当初の特色が「反○○」とひとくちに言えるのか?というのも気になります。

*3:参照図録:中村正義と交友の画家たち展 -人人会創立の頃-|刈谷市|刈谷市美術館