個展がはじまってます/『現象学と表現主義』
2月1日からはじまっているギャラリーブリキ星での個展、土日と在廊した限りでは充実したものになっています。
それもそのはず、作品は新旧問わず、ギャラリーの空間を見込んだセレクションです。
個人蔵、ギャラリー所蔵作品の放出・販売もあり、新作を販売する身としては何やら不安もありましたが、蓋を開けてみれば楽しいものです😃
日曜日の呈茶も大好評!
協力してくださった大田将志さんに感謝!
最終日もありますので、ぜひご来場下さい。詳細は末尾につけています。
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恒例になってきた読書日記は、多忙にてあまり書き溜めておらず一冊だけ。
5年以上前に買った時はチンプンカンでしたが、最近再読してハマったもの。
いきなり脱線しますけど、
私は絵描きなので、「表現主義について勉強しています(いました)」と言うと、
大概の方は、私が何かを標榜していたり、絵も何某かの「イズム」を表現していたりするのではないか?と思われるようですが、そういったことではありません。
自分の場合は哲学専攻でしたし、認識とか方法などを含んだ広い意味での「表現主義」で、思想史、精神史っぽい、まさにこの本のような内容。
もちろん、自分の考え方や活動に関係はあります。
敢えて例は出しませんが……美術分野の狭義な意味での「表現主義」は、特に日本では漠然と悪いイメージを持たれがちなようで、たまにそういう光景を目にします。
明治・大正の「向こうの美術」を受容する過程で、いわゆる人生賛歌なロマンチックなものに捉えられすぎた、とか、
景気がいい時に流行った新表現主義「ニューペインティング」のコマーシャリズムが、真面目な人には反省的に映るとか、そういう感じなんでしょうか。
あんま適当なことを書きすぎるのは良くないですけど、表現主義に関わる「主観」という言葉の、一般的な意味と、欧米(特に欧?)の思想文脈で使われる意味とのギャップはかなりありますよね。
向こうさんの「唯一の神」、自然観と認識論は深い関わりがあるので、当然自然主義(印象主義)に対抗するかまえも日本人の感覚とはかなり違う。チグハグなのは当たり前なのかなと思います。
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ちなみにこの本の内容は、、
現象学と表現主義の思考形態には「脱現実化的実在化」という共通性があって、時代的に必然的に起こってくる。この思考形態を、一回性の運動や思索としてだけではなく分析して論を展開する!というもの。
その「形態」という意味がなにやら難しいようだけども。
ここでの現象学というのは、厳密にはフッサール『イデーン』なのだけど、それが前の『論理学研究』とかフッサール後期のものとどう違うのか?とかなってくると
自分は一生、未確認情報で終わりそう。。。。
この本の影響力はよくわからないことが多い。82年に書かれた著作の邦訳らしいですが、訳者あとがきによれば「まだ無名の著者」で「くわしいことは知らない」らしい。
けっこうマニア向けな内容だし、どうして文庫でも出るのか(訳者が高名……?)そこのところ、他の方の感想も気になるところです。
ともあれ、私のような一般的な読者にとっても、調べ物で読むような、日本の精密な論文と対照的で、デカい事に突っ込んでいくワクワク感があります。
社会学、心理学、美術史学……学問がいろいろ出てきた熱い時代の様相を、創造的思考の典型を通して感じることができます。
個人は何を捉えられるか?ずっと歴史を貫いてる謎でもありますね。
(かなり無理矢理繋げればですけど💧)絵を描く時も、どうやってユニークな形を創り出すのか、出せるのか?というのはとても素朴で深い問題です。
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内藤瑶子作品展ギャラリーブリキ星
◉ 2月1日(土)~9日(日)12時から17時
*2日(日)、9日(日)には、会場で呈茶を行います。
(土曜日、日曜日作家在廊)
2001年頃(16歳~17歳)から最近作まで、約20年間の作品が並びます。
是非ご来場ください。
(展示作品に個人蔵が含まれ、一部非売品があります)
展示協力:山根康壮・大田将志