画家の死後:内藤瑶子の生前日記

自称絵描き|内藤瑶子のナイトー自身による、活動報告のブログです。/ 東京近辺で活動中。詳しいことはhttp://yokonaito.info/へ。

展示、立て込み。/読書日記・ヴェブレンの「金銭的美学」

久しぶりの更新になりました。

コロナウイルスの関係で、たくさんの企画が延期になったり中止になったりする中、さぞ暇になるんだろうなーと、ゆったり構えていたのですが、、、

「こんな時なんで……(中略)……なんかすぐ出せる、飾れそうな作品とかある?」

というピンチヒッター系の企画が、急遽・同時多発的に巻き起こりまして、たいへん忙しくしております。

ありがたいことです。

こんな時、版画のようなエディション作品があるといいです。

(もちろん決して、売れ残りの欠落作品を出しているのではありませんよ!)

 

ー◇ー

 

先日終了した、ギャラリーTーBOXのオーナー・高橋さんによるセレクション展「二十歳の迷路と光」は、私の20歳の時の版画(小中学校レベルの板目木版スキル)のみで成り立たせるという、なかなかの公開処刑的な内容。

ともあれ、こんな時期にしては、比較的好評いただけたので良かったです。

 

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DMかわいいですよ。こんなのが突貫工事ですぐできるデザイナーさん、憧れます!

 

現在も会期中(8月1日まで)の不忍画廊のグループ展「リトル・モンスター〜愛しき者たち」には、新作を出しています。

こちらは実力のある版画作家を多く扱っている画廊ですから、ここの企画に参加する時はいつも脂汗が止まりません。

今回はTーBOXの個展と同時に開催していることもあって、ある意味、前代未聞の展示週間でしたね!

 

ー◇ー

 

不忍画廊の展示は「愛する対象」を表現した「リトル・モンスター」をテーマにしている企画なのですが、DMは猫ちゃん。

 

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黒猫さん、なかなか印象的なポーズです!

 

最近の猫人気ってすごいです。犬を完全に凌駕してないか?

絵描きの間では「猫」は困った時に頼りになる、鉄板モチーフとしておなじみ。(オットいけねえ)

 

今回は「犬より猫が、ペットとして趣味がいい」(?)と分析した

ヴェブレン『有閑階級の理論』を紹介します。

いつも見るのが古い訳本だから、 この新訳を見てみたいぞ。。

 

 

 ヴェブレンは経済学者として知られていますが、私はこの人の経済理論の詳細はよく知りません。ただ、当時は学問の黎明期で、今のようにジャンルが細分化せず、確立もしていないので「知識人」とか「学者」としてオールマイティにやっていた人が多い、ということは言えると思います。

なので、この内容も、社会学理論として、流行論、文化批評などなど……色々な意味があります。

表現理論としても見ることができる。今風に言うと「映え(ばえ)」でしょうか。

 

 

ヴェブレンによれば……(内藤による超略)

は主人を「立てる」生き物で、身分、権力関係に敏感な生き物。時によって媚びへつらったり、凶暴に振る舞ったりして卑しい。

特に凶暴そう、格好いい高価そうな犬(ジャーマンシェパードとかですかね?)を服従させることや、めちゃくちゃ飼うのに労力やお金がかかりそうな犬の飼育などは、主人の虚栄心を満たすのに一役買う。

なので、犬は卑しいし、犬を好むのは見栄っ張りで趣味が悪い。

 

はその点、人間と平等の間柄で生活するし、差別的でない。自立している。役にも立つ。

(今の猫はネズミなんか捕らないので、番犬の方が役に立つかもね。)

よって気ままな猫が好き、そんな主人も趣味がいい、というわけ。

 

どうですかね?

まあ、お金持ちのところの犬猫のほうが、私よりいいもん食ってそう、、、と思ったことはありますがw

 

 

ここで面白いところ。「犬道楽がグロテスクな奇形に仕立てた変種」「めずらしい愛護動物」など、

実際はたいして美しくもないのに、新しくって、珍しいだけで、みんな美しいと勘違いするようになってくる。

見せびらかしの消費活動によって、人の美意識が変化してくるということなんでしょうか。

 

趣味の良さ、美的感覚と金銭的なものは、今や絶対に切り離せないものですよね。

金銭的根拠に立脚する美、「金銭的美学」。*1

興味深いことを指摘していると思います。けっこう深い。当然、造形美術にも転用可能な考え方ですよね。

 

けっこう前、友人に教えてもらってから、ずっと大好きだったこの本。書かれた1899年当時、かなり先進的だったのではと思います。

なんか恨みでもあるのか?ってほど、チャラチャラした奴らへのメッタ斬りが止まらない、痛快な本でもあります。


ー◇ー

 

再読していると、庭を批評したところが面白く感じました。


カント美学の絵画理論のところって、なぜかいきなり庭の話(造園)の話が出てきて面食らうものですよね。

この人もそういう系譜を引き継いでか「成金の庭」をいろいろ分析されています。

 

成金は庭に、わざわざいかにも「高そうに見える」ものを入れてくる。

それを卒業すると、スノッブはわざわざ人工的に「自然風」の庭を作ったりする。

その土地に生えていないものを植樹する見栄、品種改良の数々は、感動をもたらすものなのか、それとも見せびらかしの悪趣味か。

 

 

ただし「映え」が全てダサい。というわけではない。「見せびらかす」のがダサいだけということでしょうか。

わかりやすく「映えさせる」ことで、人は人のことが理解できるし、コミュニケーションをとれる。

逆に「映え」がなく、誰も判別できないことを表現をすること、それはそもそも「表現」として成り立たないんですよね。

 

 

ヴェブレン、いかにも私好みの偏屈おじさんですが、、

今の時代に生きてたら、世の中をどう批判したでしょうね?

意外とTwitterとかで毒吐きまくって人気者になっていたかもなー

 

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 トイレにいたバッタを絵手紙にしました。みなさんごきげんよう



 

 

 

*1:ちなみに私は50年代に出ている『世界大思想全集』の17巻に収録されているのを参照しているんですが、けっこうコンスタントに新訳が出ているんですね。ずいぶん訳も違いそうですが。。