哲学科の院生になっちゃった。。/ 人人会 @豊橋美術博物館
先日の「人人展」@羽黒洞、皆様のご支援・ご協力により無事開催できました。感謝申し上げます。これからしばらく展示はありません。今年は秋から、たくさんの展示が予定されています。頑張らねば。
コロナ禍のGW明け、いかがお過ごしでしょうか。私は作業が思ったように捗らないことが多かったので、遅れを取り戻すべく必死にやっています。版画制作=肉体労働ですので、30代半ばにもなって朝から晩まで制作すると、身体へのダメージもハンパないです。アーメン。
表題にありますとおり、実は縁あって、とある大学院の哲学科に通う(今、オンライン授業ですが)ことにしたので、少々バタバタしていました。
30代半ばの子持ち女。しかも実は中学くらいから不登校 & 高校中退であり、人生のほとんどを「中卒」として生きてきた奴なので、なかなか奇妙・予想外な巡り合わせ。
ちゃんと勉強するつもりなら、もうちょっと真っ当に生きていたかもしれないのにな……とも思いますが。でも、真っ当に生きれなかったからこそ哲学本が好きになったのかもしれないなあ。
普通の学生と同様の入試を受けなければならなかったので、英語の長文訳の勉強をしました。実は私、高校受験も大学受験もしたことなかった(!)ので、受験勉強自体が初体験でした。とはいえ、日がなゴロゴロしながらバートランド・ラッセルの原著をひたすら楽しく読む日々。天国すぎた。
ゴロゴロラッセル。和訳で参考にしたものは高村 夏輝訳、哲学入門 (ちくま学芸文庫)です。The problems of〜というタイトルのものは、基本的に「〇〇入門」と訳すらしく、たまに中を読むと「ぜんぜん入門じゃねーな!ムズすぎ!」となる翻訳本もあります。これはどうかなあ。一般向けなんですが、いわゆる「認識論」にまったく疎かったら読めないのかもしれない。
英語の問題集とか洋書も、Kindleで安いし、原著は著作権が切れていて、タダのものもいっぱい。ジンメルも。。こんないい時代にドイツ語ができないなんて、ねえ💧もったいない。
ともあれ、作った研究計画書と共に、試験もパスできてよかったです。
絵の制作をはじめてから約20年、1ヶ月まったく絵を描かなかったのは初めてでした。今になって思い返すと、その不協和によく耐えられたな!と思います。
現在はちょっとでも作品制作がうまくいかないと、そこはかとない焦りに見舞われ、夜に酒を飲みすぎてしまう日々に逆もどりです。何だったんでしょう、あの日々は。
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私が所属していて、調査もしている「人人会」の創立メンバーを扱った企画展が、豊橋美術博物館で開催中とのことで、こんなご時世ですが行ってきました。
「人人会」は主に東京都美術館で活動している団体なのですが(それはそれで社会運動に関わる深い理由があるんですが)、実は関西圏にとても縁が深いんですね。1974年の創立時は日本画家の中村正義、星野眞吾など、愛知県にゆかりのある作家も在籍していましたし、現在活動しているメンバーで、ここの主任学芸員だった方(!)もいらっしゃいます。
新収蔵品も交えたコレクション企画。新収蔵は丸木位里と丸木俊の作品のようでした。ほとんど作家の作品が「第1回人人展」のものなのですが、この二人の作品だけが「第1回東京展」のもの。この二人が出品していたのは京都展、「第2回人人展」からで、第1回は不参加だったんです。
メインビジュアルが佐熊桂一郎。この作品は、佐熊先生の中でもかなり力の入った、まさに「エース級」のものだと言っていいでしょうね。スクエアキャンバスが強い!
立派な展示です。撮影NGでしたが、ギリギリ許されたショットを掲載いたします。遠くに星野眞吾が見えるう。
車で片道3、4時間、合計8時間近く運転。一人ではちょっとキツい距離でした。
しかも帰路の東名高速で、たいへんな嵐 & 事故渋滞に見舞われ!背中と腰に大ダメージをくらいました。
作業苦戦。。。
謹賀新年……?とご報告、展示のお知らせ。
謹賀新年どころか、もう3月になってしまいました。
2021年も、いろいろとチャレンジが目白押しで、もう既に胃が痛くなっています。。。。ともあれ、本年も何卒よろしくお願いします。
今頃は、毎年恒例の「人人展」があるはずなのですが、今年はコロナウィルスで本展はおやすみ。湯島の画廊・羽黒洞での小品展だけあります。↓
絶賛開催中でございます。外出もままならないご時世ですが、お近くにお越しの際はぜひ。
第45回从展
会期:2021年3月14日(日)-24日(水)※ 21日(日)休廊
時間:11:00-18:00 ※ 最終日は16:00まで
会場:羽黒洞
昨年は、コロナ禍もあり、また展示もとてもたくさんあったので、時が倍の倍で経過しました。1年で個展を4回も開催したのは初めてでした。
新作はもちろんですが、10代の時からの旧作の展示も多かった。。
コレクション作品が手放され、2次流通として違う所へいったものもあり、若干の小っ恥ずかしさに戸惑ったりしましたが、なんというか、、慣れました。今年も過去作の展示はありそうです。
10代過去作、と言えば、初めて「人人展」に出した2003年制作の立体作品なんですけど、パークホテル東京のエレベーターホールに常設されることになりました。31階だったかな?
この無骨なトルソですが、吹き抜けを見通す窓を眺めている感じになっていて、とてもマッチしていました。
年末には、家族と友人の力も借りて、うちには新しいプレス機がやってきました。400キロくらいあります(!)作業場の整備が大変でした。






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先日誕生日だったのですが(メッセージくださった方、ありがとうございました!)36歳になりました。息子が生まれてからというもの、倍速ですぎていく日々。あれよあれよという間に、もう小学生になってしまいました。
ずっと3歳くらいのコロコロモチモチのままでいてーって感じですが、、、野太い声の野郎になってしまうのか……空手を習い始めました。。。。
展示、立て込み。/読書日記・ヴェブレンの「金銭的美学」
久しぶりの更新になりました。
コロナウイルスの関係で、たくさんの企画が延期になったり中止になったりする中、さぞ暇になるんだろうなーと、ゆったり構えていたのですが、、、
「こんな時なんで……(中略)……なんかすぐ出せる、飾れそうな作品とかある?」
というピンチヒッター系の企画が、急遽・同時多発的に巻き起こりまして、たいへん忙しくしております。
ありがたいことです。
こんな時、版画のようなエディション作品があるといいです。
(もちろん決して、売れ残りの欠落作品を出しているのではありませんよ!)
ー◇ー
先日終了した、ギャラリーTーBOXのオーナー・高橋さんによるセレクション展「二十歳の迷路と光」は、私の20歳の時の版画(小中学校レベルの板目木版スキル)のみで成り立たせるという、なかなかの公開処刑的な内容。
ともあれ、こんな時期にしては、比較的好評いただけたので良かったです。


現在も会期中(8月1日まで)の不忍画廊のグループ展「リトル・モンスター〜愛しき者たち」には、新作を出しています。
こちらは実力のある版画作家を多く扱っている画廊ですから、ここの企画に参加する時はいつも脂汗が止まりません。
今回はTーBOXの個展と同時に開催していることもあって、ある意味、前代未聞の展示週間でしたね!
ー◇ー
不忍画廊の展示は「愛する対象」を表現した「リトル・モンスター」をテーマにしている企画なのですが、DMは猫ちゃん。
最近の猫人気ってすごいです。犬を完全に凌駕してないか?
絵描きの間では「猫」は困った時に頼りになる、鉄板モチーフとしておなじみ。(オットいけねえ)
今回は「犬より猫が、ペットとして趣味がいい」(?)と分析した
ヴェブレン『有閑階級の理論』を紹介します。
いつも見るのが古い訳本だから、 この新訳を見てみたいぞ。。
ヴェブレンは経済学者として知られていますが、私はこの人の経済理論の詳細はよく知りません。ただ、当時は学問の黎明期で、今のようにジャンルが細分化せず、確立もしていないので「知識人」とか「学者」としてオールマイティにやっていた人が多い、ということは言えると思います。
なので、この内容も、社会学理論として、流行論、文化批評などなど……色々な意味があります。
表現理論としても見ることができる。今風に言うと「映え(ばえ)」でしょうか。
ヴェブレンによれば……(内藤による超略)
犬は主人を「立てる」生き物で、身分、権力関係に敏感な生き物。時によって媚びへつらったり、凶暴に振る舞ったりして卑しい。
特に凶暴そう、格好いい高価そうな犬(ジャーマンシェパードとかですかね?)を服従させることや、めちゃくちゃ飼うのに労力やお金がかかりそうな犬の飼育などは、主人の虚栄心を満たすのに一役買う。
なので、犬は卑しいし、犬を好むのは見栄っ張りで趣味が悪い。
猫はその点、人間と平等の間柄で生活するし、差別的でない。自立している。役にも立つ。
(今の猫はネズミなんか捕らないので、番犬の方が役に立つかもね。)
よって気ままな猫が好き、そんな主人も趣味がいい、というわけ。
どうですかね?
まあ、お金持ちのところの犬猫のほうが、私よりいいもん食ってそう、、、と思ったことはありますがw
ここで面白いところ。「犬道楽がグロテスクな奇形に仕立てた変種」「めずらしい愛護動物」など、
実際はたいして美しくもないのに、新しくって、珍しいだけで、みんな美しいと勘違いするようになってくる。
見せびらかしの消費活動によって、人の美意識が変化してくるということなんでしょうか。
趣味の良さ、美的感覚と金銭的なものは、今や絶対に切り離せないものですよね。
金銭的根拠に立脚する美、「金銭的美学」。*1
興味深いことを指摘していると思います。けっこう深い。当然、造形美術にも転用可能な考え方ですよね。
けっこう前、友人に教えてもらってから、ずっと大好きだったこの本。書かれた1899年当時、かなり先進的だったのではと思います。
なんか恨みでもあるのか?ってほど、チャラチャラした奴らへのメッタ斬りが止まらない、痛快な本でもあります。
ー◇ー
再読していると、庭を批評したところが面白く感じました。
カント美学の絵画理論のところって、なぜかいきなり庭の話(造園)の話が出てきて面食らうものですよね。
この人もそういう系譜を引き継いでか「成金の庭」をいろいろ分析されています。
成金は庭に、わざわざいかにも「高そうに見える」ものを入れてくる。
それを卒業すると、スノッブはわざわざ人工的に「自然風」の庭を作ったりする。
その土地に生えていないものを植樹する見栄、品種改良の数々は、感動をもたらすものなのか、それとも見せびらかしの悪趣味か。
ただし「映え」が全てダサい。というわけではない。「見せびらかす」のがダサいだけということでしょうか。
わかりやすく「映えさせる」ことで、人は人のことが理解できるし、コミュニケーションをとれる。
逆に「映え」がなく、誰も判別できないことを表現をすること、それはそもそも「表現」として成り立たないんですよね。
ヴェブレン、いかにも私好みの偏屈おじさんですが、、
今の時代に生きてたら、世の中をどう批判したでしょうね?
意外とTwitterとかで毒吐きまくって人気者になっていたかもなー
*1:ちなみに私は50年代に出ている『世界大思想全集』の17巻に収録されているのを参照しているんですが、けっこうコンスタントに新訳が出ているんですね。ずいぶん訳も違いそうですが。。
コロナ禍と仕事・活動記 / 青木繁ロマンティック
巷で大問題化している新コロナウイルス、COVID-19(英字名称の読み方が謎。。)ちょうど流行りはじめてから2ヶ月くらい経つはず。
丁度、ギャラリーブリキ星での個展会期中に
「何やら中国で変な風邪が流行っていて大変らしいよ?観光客がいなくて銀座が閑散!」と、作家仲間では話題になってはいましたが……
まさかこんな事態になろうとは。


ー◇ー
個展ご来場くださったお客様、人人展に駆けつけてくださったお客様、どうも有難うございました。
大変な最中にご協力していただいたみなさま、関係者の方々に感謝いたします!!
その後、、、毎年恒例の「人人展」が途中で中止、出演予定だったトークをキャンセルし、仕事先も軒並みカオス、息子の幼稚園卒園・小学校入学もままならず、といった具合で、様々な案件の悲しい事後処理に追われております。。。
人人展の会期は3月25日からでした。都内の美術館、公共の展示もまだやっている企画もあったり、中止になっていたり、という感じ。
都美術館では大型企画「ハマスホイとデンマーク絵画」をはじめ、6、7割がたの団体展が既に中止となっていましたが、私たちの展示の他、独立展「独立春季新人選抜展2020」が開催。「AJCクリエイターズコレクション展2020」も26日から開催していました。
しかし、会期2日目(26日)には以前より強い「自粛要請」なるものが都美術館の方から会に届き、てんやわんやに。丁度、世の中が非常事態ムードへと変調していった日で、他の公共の企画・スペースも一気に閉場しはじめているているようでした。
そもそも「自粛要請」って何なのか。
我々人人会はプロの企画屋さんでもなく、作家運営で、しかもその名のとおり「人と人を横に並べる」というコンセプトの相互互助団体なので、指揮・命令系統がありません。
都の要請は「土日の外出自粛要請」。今すぐ閉じたほうがいいの?それとも週末だけ?週明けは開館という事なのか!?
「自粛要請」の意図が汲めず、30人以上もいる出品者にどう説明・相談したらいいのか、その場にいた人間で、しばらく悩む事になりました。
「絶対展示を開けてやる!」とゴネるためではなく、一緒に展示している方々に状況を正確に説明するために「できればこーしてほしいのですが、如何でしょうか。」と率直に、具体的に言って頂いたほうが正直楽。
でも想像に難くない。行政のトップの方から脈々と「自粛」という伝言が降りてきていて、誰もが「よくわからないけど、自粛要請だって。どー思います?」と伝えるしかない。そして私もそう伝える事に。。。💧
全国津々浦々で、そういう場面が続々展開中でしょうね。
みなさまくれぐれもご自愛ください。
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読書は、、
恵投いただいたこの展示図録。東御市梅野記念絵画館・ふれあい館 『青木繁・坂本繁二郎と梅野三代展』です。
展示は未見ですが、図録のコレクター座談会コーナーは、作品と地続きのロマンティシズムがほとばしっており、熱いです。
作者のプロフィールや属性、制作背景を全て取っ払って「絵そのもの」だけで価値を判断できるか。
本質主義といいますか、今そういう考え方は人気がなくなってきました。
それでも、「わかるはずだ」という審美のロマンが、美術ファンを絵に向かわせてきたし、シーンを動かしてきたんだろうな、と感じ入りました。
青木繁関係では梅野記念絵画館が出している会報『アートの風』(100号)も読み応えが。
コレクターとして有名な梅野満雄と梅野隆、梅野亮(この方は画家)の三代。初代・梅野満雄は特に青木繁のコレクターとして著名ですが、この梅野・青木・坂本繁二郎は同郷(久留米の名善校)の文芸愛好グループ出身で、上京後も強い友人関係にあったらしい。
梅野満雄は、学部論文で、日本ではじめて(!)のラファエル前派の研究をしたとのことで、青木、坂本3人共有の探求テーマに重なっていく。この「結社」という濃い影響関係の下で、青木繁の作品は成立していったとのこと。(p3、岡部昌幸「眼の力ー梅の家三代の情熱とロマン」より)
ちなみにこの3人組を梅野満雄は「三友の輪」と呼んでいたらしい。コレクターとして青木繁の作品を押し上げただけでなく、坂本繁二郎にアトリエも建ててやったとか。思想や生活も支えていたんですね〜。
にもかかわらず、図録では「美術史では抹殺されている」なんて話が出てましたね。(p17)
興味深いです。
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あとはKindle本で。
内容はいわゆる「哲学入門」ではない、そして分析哲学入門でもそんなにない。。。
この人の文体はいやにざっくばらんで、気が滅入った時には読みたくなります!
このミリカン「目的論的意味論」っていうのは人が意味を読み取る行為の過程(そういえば、私は昔からチャールズ・サンダース・パースが好きだなあ。。)、じゃなくて意味するモノ側の表象過程(って言ったらいいのか?)を考えるものなんですね。
私は何かモノを見て勘違いするかもしれないけれど、モノはそのモノとしてちゃんとある。よな。唯物論深ぇ。
新版 論文の教室 レポートから卒論まで (NHKブックス)どれだけお世話になったことか。
2ちゃんねるの人、こんなにたくさん自己啓発本の著作があるんですね!はじめて読みました。啓発本マニアとしては読んでおかないと、、、
個展がはじまってます/『現象学と表現主義』
2月1日からはじまっているギャラリーブリキ星での個展、土日と在廊した限りでは充実したものになっています。
それもそのはず、作品は新旧問わず、ギャラリーの空間を見込んだセレクションです。
個人蔵、ギャラリー所蔵作品の放出・販売もあり、新作を販売する身としては何やら不安もありましたが、蓋を開けてみれば楽しいものです😃
日曜日の呈茶も大好評!
協力してくださった大田将志さんに感謝!
最終日もありますので、ぜひご来場下さい。詳細は末尾につけています。
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恒例になってきた読書日記は、多忙にてあまり書き溜めておらず一冊だけ。
5年以上前に買った時はチンプンカンでしたが、最近再読してハマったもの。
いきなり脱線しますけど、
私は絵描きなので、「表現主義について勉強しています(いました)」と言うと、
大概の方は、私が何かを標榜していたり、絵も何某かの「イズム」を表現していたりするのではないか?と思われるようですが、そういったことではありません。
自分の場合は哲学専攻でしたし、認識とか方法などを含んだ広い意味での「表現主義」で、思想史、精神史っぽい、まさにこの本のような内容。
もちろん、自分の考え方や活動に関係はあります。
敢えて例は出しませんが……美術分野の狭義な意味での「表現主義」は、特に日本では漠然と悪いイメージを持たれがちなようで、たまにそういう光景を目にします。
明治・大正の「向こうの美術」を受容する過程で、いわゆる人生賛歌なロマンチックなものに捉えられすぎた、とか、
景気がいい時に流行った新表現主義「ニューペインティング」のコマーシャリズムが、真面目な人には反省的に映るとか、そういう感じなんでしょうか。
あんま適当なことを書きすぎるのは良くないですけど、表現主義に関わる「主観」という言葉の、一般的な意味と、欧米(特に欧?)の思想文脈で使われる意味とのギャップはかなりありますよね。
向こうさんの「唯一の神」、自然観と認識論は深い関わりがあるので、当然自然主義(印象主義)に対抗するかまえも日本人の感覚とはかなり違う。チグハグなのは当たり前なのかなと思います。
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ちなみにこの本の内容は、、
現象学と表現主義の思考形態には「脱現実化的実在化」という共通性があって、時代的に必然的に起こってくる。この思考形態を、一回性の運動や思索としてだけではなく分析して論を展開する!というもの。
その「形態」という意味がなにやら難しいようだけども。
ここでの現象学というのは、厳密にはフッサール『イデーン』なのだけど、それが前の『論理学研究』とかフッサール後期のものとどう違うのか?とかなってくると
自分は一生、未確認情報で終わりそう。。。。
この本の影響力はよくわからないことが多い。82年に書かれた著作の邦訳らしいですが、訳者あとがきによれば「まだ無名の著者」で「くわしいことは知らない」らしい。
けっこうマニア向けな内容だし、どうして文庫でも出るのか(訳者が高名……?)そこのところ、他の方の感想も気になるところです。
ともあれ、私のような一般的な読者にとっても、調べ物で読むような、日本の精密な論文と対照的で、デカい事に突っ込んでいくワクワク感があります。
社会学、心理学、美術史学……学問がいろいろ出てきた熱い時代の様相を、創造的思考の典型を通して感じることができます。
個人は何を捉えられるか?ずっと歴史を貫いてる謎でもありますね。
(かなり無理矢理繋げればですけど💧)絵を描く時も、どうやってユニークな形を創り出すのか、出せるのか?というのはとても素朴で深い問題です。
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内藤瑶子作品展ギャラリーブリキ星
内藤瑶子作品展、詳細 ◉ 2月1日(土)~9日(日)12時から17時
*2日(日)、9日(日)には、会場で呈茶を行います。
(土曜日、日曜日作家在廊)
2001年頃(16歳~17歳)から最近作まで、約20年間の作品が並びます。
是非ご来場ください。
(展示作品に個人蔵が含まれ、一部非売品があります)
展示協力:山根康壮・大田将志
🎍謹賀新年🎍/2月に個展あります。/ 展示見聞記とか、読書日記とか。。
🎍謹 賀 新 年🎍
今年も相変わらずよろしくお願いします。
年賀状、お世話になっている方と、作品の所有者の方にお送りしていますよ。*1
今年はまず、下記の日程で早々に個展を行います。
まだ内容は未定なのですが、様々な事情が重なり、ギャラリー蔵、個人蔵の作品も展示予定です。
とりあえず色々な〆切を含めた蛇行運転を切り抜けるところから新年はスタートです。とほほ〜
「内藤瑶子作品展 2003ー2020」
■会期:2019年2月1日(土)〜2月9日(日)■時間:12:00〜19:00
■会場:ギャラリーブリキ星(http://burikiboshi.o.oo7.jp)
10年ぶりの古巣。ギャラリーブリキ星の加川さんは、10代のとき自分を拾ってくださった骨董商・ギャラリストです。まさに恩師!
こういう人達がいなかったら、私は絵描きとして(というより人間として?)どうなっていたんだか。そういう人です。
気合いが空回りしないように気をつけないと。。。。
しかし、だいぶ更新がご無沙汰になってしまいました…… 展示情報の告知はささやかながらやっておるSNSが確実になっております。
■twitter:
■Facebook:
大概の人はフォローを返してますし、facebookもメッセージいただければ対応しています。ぜひつながりましょー
最近はinstagramをやらないのかと言われます。
私は小学校のときからインターネット大好きで、ウェブサイトを作るのも好きだったので、前は新しいサービスがあると(続く続かないに限らず)いろいろやっていたのですが、最近はなんだか。
というより昔とった杵柄、HTMLの知識を活かしてサイト運営の相談に乗ったり、バイトしたりしています。ある程度知識を更新する必要があるので、ちょっと忙しいんですね。これ以上目を酷使したら、やばいことになりますからね。
さて、昨年ちょっとメモっていた展示見聞記とか、読書日記とか。。
◉特別展「人、神、自然-ザ・アール・サーニ・コレクションの名品が語る古代世界-」@東京都国立博物館、東洋館
平成館でやっていた正倉院展のチケットをいただいたので、伺ったのですが「そもそも正倉院てナニ?」となり、現地でググる始末。メチャクチャ混んでいるし、これではまともに鑑賞することができない……
しょんぼりする気持ちを切り替えて、常設をじっくり見ることに。
たまにはいいです。
特に、この特別展はとても面白かったです。
立体物や浮き彫りは、なかなか写真では伝わらないし、モノとしての迫力があります。その中でも石は何千年も前のものなのに、とても綺麗ですね。
オルメカ文明のヒスイを使った石彫。テキーラで「オルメカ」という銘柄がありますが、あのラベルの顔ですね。あれ、とても美味しいです。
だいたい皆様がショットで一気飲みしているやつは「クエルボ」のゴールドですね。
◉ ソポクレス『アンティゴネー』@梅若能学院会館。2019/11/30
レオニード・アニシモフさんという著名な演出家の方が率いる劇団・東京ノーヴイ・レパートリーシアターによる能楽堂での連続公演。
これですね。
友人にいきなりお呼ばれして、お世話になっている哲学の先生と先輩と一緒に伺いました。
観劇経験があまりないにもかかわらず、いきなり応用編か!みたいな感じで、相応しい観客だったのかどうか?
「これがギリシア悲劇に出てくるノモスか……単位取るレポートで書かなきゃいけないやつや」
ってな具合で、必要もないのにお勉強の悪い習性がでて、目を白黒させながら見ていました。3月のエウリピデス『メデイア』にも挑戦してみたいです。
ギリシアといったらこれか。
これを読むに至った経緯はいろいろあるのですが、もともと私は古代ギリシアの自然哲学者に前から憧れていたので、著者ではなくヘラクレイトスに興味がありました。
この「ソクラテス以前」のジャンルは、1人1人というより、まず展開がすごいんですよね。そして、この展開はアリストテレスによって纏められたということになってます。
誰がどんな人なのか?個別に参考にしているのは
これなどですが、いろいろわかってくると、
こういう素敵な本を読めるようになったりするという、ロールプレイング的な面白さがあります。いろいろな哲学史の本でも、この分野をどうやってまとめてるかを読むのが好きです。
で、このハイデッガー による著作はどんななの?ツラツラ読んでいると、これはいわゆる「フツー」の解釈ではなく(おそらく、これは私による穿った見方ではないと思いますが)けっこう強引です。。
でも独創的というか、話はとにかく面白いので引き込まれます。
講義録なので、アノ『存在と時間』より私には読みやすかったです。(ちなみに『存在と時間』読み通せたことはありません💧が、ある程度この概要と、芸術作品の根源 などの内容を把握していることはかなり重要だったかもな。。「そびえる」「出現する」美しさ、崇高が、どのようにヘラクレイトスの断片に繋がってくるのか。前半はそれも読み応えがありました。)
で、いちおう読んだが、後半の「論理学」の序盤は何言ってるのかわからなくて苦戦!借り物だからそろそろ返したいなぁー。他のも読めないし。
そもそもどこまで把握しているか。自分の読解能力と語学力の限界は感じますが、
古代ギリシアの言葉で、断片しか残っていないヘラクレイトスの言葉を取り出して、翻訳して、これを「真の思索」だとすること。そんなの不正確じゃないのか?……
そこを含めて、自分の哲学と、ヘラクレイトスの言葉の解明を交えつつハイデガーは語っていくわけです。これはすごい本でした。
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ハイデガーによれば、翻訳とは「急場凌ぎ」で、未知の対岸へ「渡す」という点ではすべての翻訳の出来は良くない。「漂流か難破」だそう。でも、詩作や思索、高次な言葉の領域においてはいつも「解釈」する必要がある。
ヘラクレイトスの場合は、完成する翻訳は必然的に、根源的であるがゆえに「冥暗」だということ。
そもそも、暗いことと、「不明瞭」とは違い、もし、ヘラクレイトスの著作が無傷であったら明晰にわかる、ということではない。
この本では、「渡す」的な翻訳の不可能と、断片しか残っていないこと、ヘラクレイトスが「暗い哲学者」と昔から(ハイデガーによれば)勘違いされていたこと、が繋がっているんです。
で、暗いけど、明るくないということでもなく〜……と、延々とやっていくのですが…………。。
ともあれ、このような古代ギリシア・マジカルバナナみたいな、連想ゲームなものを繋いでいくと、なぜかハイデガーの思想に組み込まれていて……というワンダーな読書体験をする本。まあ、ちょっと高いけどそのうち買おう。。
感想を書いていたら、ふとこの本も思い出しました。
あと、このエントリに関連した読書のものを貼っておきます。
これは、人にオススメされた本ですが、自分もオススメしています。
個展・グループ展あります/作品と技法について。
展示が続きます。頑張って準備しているので、皆さん是非!ご来場くださいませ。
◉10月18日(金)から27日(日)まで、藤沢宿 蔵まえギャラリーで「版画の領域&∞ -ART in everyday life-」というグループ企画に参加します!
茅ヶ崎在住の身としては、おとなり藤沢市の展示はとても嬉しいです。初対面の作家さんが多くて緊張しますッ……。



◉グループ展会期の翌日、28日〜は京橋にある東京八重洲・T-BOXで個展。今年も開催させていただけることになりました。今回は、店主の高橋さんがDMのために一筆書いてくださいました。T-BOX: http://www.tbox.co.jp/
なかなかハードな感じに仕上がってますが、さて内容どうなることやら?
よく考えたら、日曜日の会期はないのに「日曜休廊」っておかしい!誤植です。
◉さ・ら・に、個展会期のまた翌日から、大変お世話になっているギャラリーブリキ星さんのお誘いでグループ企画「ニシオギ空想計画Vol.2」に参加を予定しています。出品作は未定です。https://nishiogi.in/imagine_nishiogi2/
西荻窪駅周辺は今、再開発が行われています。
私が若い頃からお世話になっているギャラリーブリキ星は、それに伴う道路拡張工事によって、存続の危機に見舞われているのです。
愛着のあるスペースに心を寄せたいと思います。
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さて、ちょっと作品と技法の話をば。
私の版を使った作品は、一点物(モノタイプ)とエディション作品(コラグラフ)の中間的なものが多くて、たまに「ズルい、純粋な一点ものじゃない」とか「伝統的なテクニックを軽視している」というご批判(?)を受けることがあります。
まずそもそも、私は中学からマトモに学校に行っていないし、ずっと中卒のままだったのも事実。絵の師匠もおらず、美大教育も受けていない……そういった変わり種なので、私に正統を求めてもネェ。とも思うのですが。。
、、一方で、私を育ててくださった、ティーンの時から世話を焼いていただいた画商さん、骨董商さん達と、ご支援いただいたコレクターの方々。丁寧に教えていただいた版画工房の先生、目をかけてくださった哲学の先生方など、、たいへんありがたく、恵まれていたことはもちろん、申し上げておかなければなりますまい!
話を戻すとして、、ともかく、あくまで技法は、私の絵にとっては手段であり本質ではないので、特に気にすることもなかったのですが、一方で、このプロセスには愛着もあるし、作品にとって必然性もある。
ということで、自分の使っている技法に、「ダイナミックコラグラフ」と「不可逆的ゴースト(仮)」と勝手に命名し(!)説明することにしました。
そもそも技法や素材に興味がない人(それでいいと思います)にはかなりどうでもいい内容でしょうが、これを機に列挙しておきます。
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◉まず「ダイナミックコラグラフ」は、完全な一回性の「モノタイプ」と、同じイメージが複製できる「コラグラフ」の折衷のようなものです。
インクを詰めたり描画したりしながら、その場で版を組み上げます。アナログで直感的な作業ができる点がいいところです。
私は「全く同じ画面が刷れる」ことには魅力を感じていませんが、「同じ「ような」画面が刷れる」ということは面白いことだと思っています。
画面の生成はあくまで無根拠。版のコレダ!という刷りも単一とは限りませんからね。
◉「不可逆的ゴースト(仮)」の一番重要なコンセプトは、版の反復性をなくして、過程的なものと捉えるということです。
「不可逆的」という言葉が、仰々しすぎるのでちょっと悩んでます😅*1
多色で刷るのですが、版を洗うことはせず、前のインクが残った、いわば残像のようなものを引き継ぎながら再刷していきます。
これは、信念の問題にも感じられますが、、まず、特別な調子や色彩を出したいときに使うということが、重要です。(変に重ねると、単純に色が濁るだけなので)
版の状態や材質にもよりますが、何れにせよあまり強度はないので、大量に刷るのは難しいです。
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印刷技術が発達している現代ですから、同じものを印刷するということより、人間の感覚を研ぎ澄ますような手仕事を追求した方がいい、ということを考えています。
じゃあ「なぜ版技法なのか。」という根本問題は、まだうまく説明がつきません、が、刷り上がると同時に、様々な要素を一気に平面に統合する「版」は、制作者を圧倒してくるものです。
なので、私の絵にとって、一種の劇薬なのでしょう。
あまり依存しすぎるのもどうなのか🤔……とも。
*1:
この「ゴースト」というもの名称自体は、凹版の溝が深い場合に、1回刷りをして余分なインクを除いたあと、再度刷ったものを本刷りとして採用する時にも使っているようです。
あまりネット検索だと見あたらなかったのですが、絵の具の会社・ターナーのサイトに記述があったものを見つけました。
「モノタイプはたった一つの『単刷り版画』を作ります。インクの大部分は最初のプレスで取り除かれるからです。その後の再版が可能なこともありますが、初版とは大きく異なるものになり、一般的には初版より劣ると考えられます。原板から2度目に刷ったものは『ゴーストプリント』とか『同族』と呼ばれています。」
https://turner.co.jp/art/golden/technicaldata/justpaint/jp32/jp32article3.html