画家の死後:内藤瑶子の生前日記

自称絵描き|内藤瑶子のナイトー自身による、活動報告のブログです。/ 東京近辺で活動中。詳しいことはhttp://yokonaito.info/へ。

今年も「人人展」あります/最近読んだ本:「個人」と近代化。

1月後半からインフルエンザにかかって、そのあと1ヶ月くらいグズグズ。

その期間にあった沢山の展示・イベントに参上できなかった上、やるべき作業も積もり、結局どこにも行けない。やることが終わらないー

 

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さて、今年もまた人人展があります。サイトも更新しました◎

会期は3月25日(月)~31日(日)@東京都美術館です。

ちょうど、上野公園は桜の季節ですので、行楽のお供にどうぞ。

↓詳細はこちらのリンクで↓

hitohitokai.org

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出品予定の30号の油彩ですー



 

最近は、生松敬三『森鴎外 (UP選書) 』とか、杉山二郎『木下杢太郎―ユマニテの系譜 (中公文庫)』とか、明治から大正にかけて西洋文化を積極的に紹介していた文化人(としていいよね。)関連の本を沢山読んでいます。

 

ここ数年はずっとヨーロッパ、20世紀初頭の個人主義表現主義を中心に調べていたのですが、最近はそれらが日本の近代美術にどのように影響を与えているか、というのを主に考えています。

随分巨大な範囲だな!って感じですが、一つはゲオルグジンメルという哲学者が好きすぎる……ということと、日本近代洋画が好きすぎる!という2点に尽きるんですよね。その交点が、まさに大正時代の(和製)疾風怒濤時代、生の哲学ブームというわけです。

  

しかし、森鴎外も保守なくせに「未来派宣言文」いきなり訳して紹介していたり、それでなんでハルトマンなんだ……でもこの人は本当に頭が良すぎて、驚く。

与謝野晶子は、ロダンに会って、感激して自分の息子の名前・アウギュストにしちゃうし……この人、ほんと飛んでるな!キラキラネームだね。

でも、キュビズムの重要作も持ち帰ったそうです。

 

芸術とは「かけがえのない個人」によるもの。という価値観を、良くも悪くも根付かせたムーブメントとして、『白樺』が筆頭としてあげられて久しい。でも、いわゆる視覚芸術だけでなくて、文学とか思想関連に範囲を広げて読んでいると、カオスが増してまた楽しいのです。

 

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そういえば、とある画廊で新刊『中村傳三郎美術評論集成』を長々と立ち読みさせていただき(すいません)、興味が出たので中村伝三郎「明治末期に於けるロダン」が載っている古書を購入して読みました。昭和26年の研究だけど、自分の興味ある部分がとてもまとまっていて良かったです。

 

『白樺』以前の、明治末期からのロダン信奉もトントン拍子な展開で、天才信仰の根はけっこう深い。

ロダンは、日本人が訪ねていっても優しかったようだし、こんな東アジアの僻地にいるファンに返信よこすとか、展示させてくれるとか、色々サービスしている。リアルタイムで向こうの作品が来るなんて、当時としては盛り上がったろうな〜と思います。

 

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最近、平野啓一郎さんによる「分人」という考え方が日本独特の「個人」として話題になっているんですね。積ん読中の『無責任の新体系 ──きみはウーティスと言わねばならない』とか、最近出たジンメルの入門書『ジンメルの論点』にもいきなり出てきてました。

 

そもそも日本には「個人」というものがない!とずっと言われてきているのに、なぜか芸術家には人生論や独創的な個性なるものを求めてしまうんですよね。これいかに。

そういや「精神」という言葉自体も、今のような意味で使われるようになったのって、そもそも文明開化以後だったような。「精神」とは日本にとって新しい概念なんですよね。