画家の死後:内藤瑶子の生前日記

自称絵描き|内藤瑶子のナイトー自身による、活動報告のブログです。/ 東京近辺で活動中。詳しいことはhttp://yokonaito.info/へ。

展示終了/お礼と麗子

もう数ヶ月前のことになってしまいましたが、「第43回人人展」無事終了しました。

今回もご来場いただいたお客様、ご協力していただいた皆様に勇気づけていただきました……(^^) お礼申し上げます!

 

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こんな感じでした!

 

今回は、ART TRANSITさん企画による観賞するツアーにトークで出演する機会にも恵まれまして、いろいろと作品の前で喋ったりしました。

企画してくださった方が、丁寧にレポートも書いてくださったので、ご覧になってみてくださいね。

alore.ae-salon.com

 

※※

 

今回の特別陳列は井上洋介展。

絵本作家として高名な方でしたが、人人展第2回(76年)から参加した画家でもありました。

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特別陳列会場の様子

弟子の山﨑克己さん(この方も展示に参加してくださっていて、紙を削る独特な画面を制作される方)によれば、

 

「俺流の人。」

 

(笑)でもほんとうにそんな人かも。

漫画、絵本、立体、絵画……ひるむことなく俺流を貫いている!

 

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童女図」(紙本着色、1985年)詳細はこちら:https://hitohitokai.org/

今回の出品作「童女図」。

内容からも、題名からいってもこれは麗子……@ 岸田劉生!?

 

なんで!?って思ったの私だけなんでしょうか。

ドクロの杖がやけにかわいいな!

杖持ってるということは、佐熊さんの絵へのオマージュなのかな〜

 

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佐熊圭一郎「お菊巡礼」巡礼の絵なのかな?『みづゑ』795、美術出版社、1971年4月、38頁。

※※

 

ずっと気になっていたのですが、人人展には麗子的女性像(と便宜的に呼ばせてもらいましょう)がよくいらっしゃるような??

 

その最たる例が、佐熊桂一郎1929-2006) 。延々と独特な女性像をモチーフに描き続けていた人です。

この人は、劉生に影響を受けていると言い切っていました。劉生の、いちばん妖怪っぽいやつ「野童女」なんか思い出します。*1

  

あとは斎藤真一1922-1994)さん 。瞽女さんをテーマにした作品や著作で一世を風靡した画家です。どことなく麗子的か。

この方については諸説あり、軽々しくブログで書くようなことではないので、参考までに。

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左:佐熊桂一郎の長いインタビューが載ってる『みづゑ』795 右:最近入手した、上越市立総合博物館「斎藤真一と瞽女池田敏章コレクション」の図録♬

 

人人創立時のメンバーは8人。その中で、2人がこんな感じ。

改めて考えると、濃いですね。

 

※※

 

斎藤真一を瞽女を描く作家として世に出した画商・木村東介のエッセーに「麗子」に関する一節がありました。ちなみに、木村東介は人人展創設に大きく関わっており、佐熊さんの作品も購入していたそう。*2

 

減点になるはずの個所としてはっきりしているのは劉生のデューラー的なところ……彼のかいた麗子像は日本最高と評価されているが、これは明らかに初期浮世絵肉筆の湯女の図の感激から得た表現であり、極端に言えば油彩による初期浮世絵肉筆といっても過言でない。

*3

 

他に激賞している部分は多々あったのですが、特に気になった点。

この木村さんにとっては一連の麗子像の「デューラー的な部分」は減点!なんですよね。

そして、初期浮世絵肉筆の油彩化だからこそ、「麗子像は日本最高」なんだと。

 

西洋⇆東洋、リアリズムなどなどに集約しきれない、含蓄のある表現です。

この人の美意識が端的にあらわれているな、と思いました。

 

 

ただし、このデューラー云々、浮世絵云々の影響・関連の指摘自体は前々からされていて(まず、本人もいろいろ文章を書いてますし)木村荘八や椿貞雄が同時代に、もしくは回想でも言及してるんですね。*4

 そもそも木村東介は、画商として木村荘八も大きく取り扱った人でありますし、そのキッカケは椿貞雄の紹介だったそうな。

 

よくよく読んでいると、『白樺』→草土社と関わりの深い人物だったんですね〜

 

※※

 

そういえば昨年、羽黒洞で中村正義(1924-1977) が70年前後に描いたとされるバーナード・リーチ1887-1979) の肖像を拝見しました。クロッキーです。

羽黒洞の主人・品子さんによると、バーナード・リーチは本国に帰国後、晩年に再来日して上野周辺に滞在していたらしく、羽黒洞や中村正義と交流があったようです。

 

バーナード・リーチは長生きだな〜!

中村正義の方が先に亡くなっています。

 

 

*1:みづゑ』795、美術出版社、1971年4月、38頁。正確には(当時から)10年程前、劉生が好きすぎて絵が似てしまい困っていたが、今はあまり意識することはないとのこと。当ブログでも佐熊さんのモチーフ「おちかさん」について紹介しています。

*2:ただし、メインに取り扱っていたのは日本画廊です。

*3:木村東介『ランカイ屋憂愁ー鬼才荘八追想記』羽黒洞、1982年。

これは、羽黒洞で買える小冊子なのですが、ホント面白いです。いつも美術館のコレクションで観る木村荘八が違って見えてきますよ(^^)ランカイ屋の機知あり、せつなさありです。

*4:こちらを参考にしています:木村荘八、 椿 貞雄 他『近代画家研究資料 岸田劉生 1』東出版 、1976年。ちなみに荘八は、「素描としてこれだけ深く行けばデューラーのものに並べてかけても決してひけ目はないと思う」とのことでした。