画家の死後:内藤瑶子の生前日記

自称絵描き|内藤瑶子のナイトー自身による、活動報告のブログです。/ 東京近辺で活動中。詳しいことはhttp://yokonaito.info/へ。

「うちわと風鈴展」明日まで/長谷川利行展@府中市美術館「悲劇の画家」から今まで

ギャラリーアビアントで開催されている「うちわと風鈴展」一昨年参加したご縁で今年も出展させていただいています。明日、14日まで。

浅草のアサヒビル(通称:うんこビル)の近くに行くよ!という方がいらっしゃいましたら、是非お立ち寄りくださいまし。

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また、「パークホテル東京 ART colours Vol.26展覧会 ー井の底ー 成田朱希×内藤瑶子 展」も開催中です。

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展示は公共スペースが主なので、どなたがいらっしゃったか?よくわかりません。

ぜひ反響お待ちしております。どんどん恩着せてください。

 

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長谷川利行展@府中市美術館、会期終了ギリギリで行けました。

何しろ、私が絵を志したのも2000年に神奈川県立近代美術館(当時は鎌倉)で長谷川利行の回顧展をみたのがきっかけで、その後もずっと縁がある、自分にとっては特別な画家です。

たとえばティーンの頃にX JAPANにハマった人は、どんなにアルバム発売が持ち越されようと、なんだかんだで絶対にXを否定しないでしょう。

それと同じで、若い頃に転機をもたらした特別な画家というのは何人かいて、いろいろな価値基準があろうと、最後は「やっぱ最高だよね〜」となってしまいます。

初心に立ち返ってがんばろうという気持ちになりました。

 

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靉光像》デジタルサイネージ化されてて新鮮。1930年協会に出してたもの。


今回の展示を見て、長谷川利行という画家の紹介の仕方がいよいよ変化してきたな、と感じました。

なぜ日本でゴッホが流行るのか。いろいろな研究があるようですが、派手な悲劇な人生ストーリーや美談はもちろん大きいでしょう。利行も野垂れ死に近い形で亡くなっていたことから、死後「日本のゴッホ」という文句で売り出されていたようです。

 

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こういうイメージ。お付き合いのある画廊さんから分けていただいた、76年三越での展示ポスター。今回の府中市美術館でこの《童女》も展示されてましたが、実物はこれよりもずっと赤っぽくてびっくりしました。



 利行の絵は、たとえば佐伯祐三鴨居玲などのような劇がかった悲嘆や苦悩に似合う暗さはなく、むしろ明るく輝いていたり、朗らかな絵が多い。

だから、2000年の回顧展の時点も仄暗い演出は感じたけれど、個人的な感傷にひたることよりも、日本内外の潮流に目配せしながら自分の「絵画」を展開するような部分にもフォーカスされていたのが印象に残っていた。

それから18年経って今回なんて副題が「七色の東京」キャッチコピーが「ぶらり、いこう。」である。

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駅の構内でデカイ看板を目撃した時はJRの宣伝にでもなったのかと思ったよ。。(京王線だったけど)

 


76年には「己に絵を描かせろ!」って泣き叫びながら血を吐きつつ、転がり落ちて死んだことがポスターになっていた*1のに、えらい違いである。

 

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個人的には、今回の図録で今までの「悲劇のストーリー」上では悪役っぽかった画商・天城俊彦 a.k.a. 高崎正男の活躍や、関連した展示がまとめてあったのがとても面白かった。原精一とか脇田和、森芳雄……いろいろと扱っている。

神奈川近代にも収蔵されているのもあるので、絵を描き始めた時よく参照したり見に行ったりした。(なんか自分は参照先が変なのだが)

こういう人がいたから、自分も絵を楽しめているんだなぁ。

 

ちゃんとした服を来て、菓子折り持って二科展のお偉いさんに挨拶回りする長谷川利行*2もなんか自然で、親近感を持てた。

200号の《鋼鉄場》も発見されたらいいのにねー

 

 

*1:76年「放浪の天才画家 長谷川利行展」図録の木村東介談

*2:p164、小林真結「『二科の画家』長谷川利行