画家の死後:内藤瑶子の生前日記

自称絵描き|内藤瑶子のナイトー自身による、活動報告のブログです。/ 東京近辺で活動中。詳しいことはhttp://yokonaito.info/へ。

近況/中村忠二展@練馬区立美術館、公募展落選しまくりの画家?

遅ればせながら「うちわと風鈴展」@ギャラリーアビアント、無事終了しております。有難いことに初日で完売していたのを知らず、SNSでたびたび宣伝してしまいました。
その場で持ち帰っていただく企画は気をつけないと。。
「そりゃないよ!」ってなっちゃったお客様がいましたら、この場を借りてお詫び申し上げます。だいたい、そんなこと滅多にないしね。ありがたい!
 
 
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先週まで二週間ほど、アメリカのコロラド州デンバーにある親戚宅に息子と居候していました。
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滞在していた住宅地の近所。見たこともないような広大なところです。
未就学児連れなので、たいがいはボォっとしていたのですが、ロッキー山脈周辺の国立公園をドライブしたりなど、おまけにアメ車で高速道路を運転できたし、のんびり満喫できました。
遠近感が歪んでくるようなどデカい山の景色は、人生観変わりそう。
でも写真で撮ると、普通なんだよなぁ。。
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ロッキー山脈は、標高3000m以上の場所にヨユーで車で行けます。山登れなくても大丈夫。(ちなみに富士山は3776m、ナイトーの住居は海抜5mです。)右はドライブ中に、なんかいたムースの親子。実はムースってなんだろとずっと思っていたけど、ヘラジカのことだったらしい。
 
ただ単純に作品を巨大化すればいいとは思わないけど、大きいスケールものに挑戦したい気持ちになってきます。
そして、いつでもどこでも気軽にデジタルコンテンツを楽しめる時代に、体感する感動をどのように考えていけばいいのかしら。
 
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先月伺った、練馬区立美術館「 生誕120年 中村忠二展 オオイナルシュウネン」
いつもお世話になっている画廊・羽黒洞で取り扱っている関係で知ってから、だいぶ年月が経ちましたが、公立美術館の大きな回顧展として鑑賞するのは初めて。
まとまって観れるのはありがたい!クソ暑い中行った甲斐がありました。
 
私もよく制作する「モノタイプ版画」を沢山作っていて、もちろん作品は大好きです。が、活動来歴や画業にもかなり興味をそそられました。明治から昭和までを生きた作家です。
 
まず、普通に仕事をしながら活動をしており、またアカデミックな教育を受けていません。そして、帝展・文展には9回挑戦するが、そのうち8回は落選しているという。。他にも春陽会、二科展、国画会……かなりの頻度で落選している。
 
そもそも年譜の中で、公募展に落選した事項にここまでスペースが割かれる作家っているのでしょうか。通常は記載しないような気も。
むしろ、公募に連続で落ちるようなところが、この作家の特色だということなのか。70年代の展示などではどう紹介していたのか気になりますね。
  

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左下の水色、ひし形のモノタイプ作品《からす西へ行く》やっぱ好きだな〜
ただ今回の展示では、中村忠二の画業を俯瞰する中で、落選することも一つのきっかけとして捉えているのだと思う。
 
働きつつ、日々の生活をしながらのサークル活動や権威がある公募展へ挑戦。水彩連盟などの団体展での活動も経て、60歳手前でそういった活動方向に一つの区切りをつける。
まず「心象風景にはいろうとする気持ち」になり、具象から非具象、抽象画傾向へと向かう。テクニックも洋画傾向・水彩から墨彩画・モノタイプへ向かう。
個に閉じていき、最終的な到達点として「詩画集」という形式に結実する。これがこの展示が打ち出す、この画家のおおまかな流れのようだ。ナルホド。*1
 
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この人は47歳の時に終戦を迎えている。その前後はもちろんマトモな活動はできていない。かろうじて公募展(国展)に出品しているだけだ。
辛い時期に、この人にとっては公募展が希望になっていたのかもしれないね。
 

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*1:図録38p〜39p