画家の死後:内藤瑶子の生前日記

自称絵描き|内藤瑶子のナイトー自身による、活動報告のブログです。/ 東京近辺で活動中。詳しいことはhttp://yokonaito.info/へ。

第40回人人展、終了しました!

人人展、終了しました。お越しくださったお客様に感謝いたします〜!

今回はいろいろと反響がある展示でした。
レポートはオフィシャルサイトにまとめる予定なので、こちらは私事を中心に、とりいそぎ御礼とご報告まで。

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今回は40回記念ということで「連続する在野」と銘打った展示企画が催されました。
「在野」というのは、創立者の中村正義が好んで使っていた言葉だそう。
この企画にはそうそうたる創立メンバーを含む、生前この会に関わった人の物故作家の作品が陳列されました。そんなに死んでるんだ‥と白目になりながらも色々と考えさせられた企画でした。
いや、むしろそういった不謹慎なことを考えるのが好きで、不束者ながらテキスト「作者の死、作品の不滅」を展覧会図録の特別陳列の項目に(半ば無理やり?w)寄稿させていただきました。
 
私以外は、湯島の画廊羽黒洞の木村品子さん、(元)豊橋市美の学芸員だった大野俊治さんなど、いずれも中村正義のメッカ(!)からのテキストが収録。たいへん光栄なことだと思いました。
 
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身近な本をあらためて読むにつれ、自分の(勝手に考えていた)ルーツとしての人人会の価値観、歴史などが、もっと複雑で奥深いものだったのだなぁ〜と、自分の無知を痛感いたしました。数年前まで、図録見ても「絵」しか見てなかったもんな‥絵本の延長みたいな😅
 
中村正義と山下菊二、たとえば東京展に関連した井上長三郎などが使った「反権威」は同じワードでも、なかなか意味が異なっていた‥とくに中村正義の「右でも左でもないかんじ」は面白く感じました。中村正義は、画家であると同時にプロデューサーだったとされることが多い。創造的実践の試みや、その背後にある思想にはいろいろ驚かされております。
 
最近のネタ本( ゚д゚)☞ 以前から面識があり、いろいろ言葉をかけてくださる笹木繁男さん(現代美術資料センター)著書「ドキュメント 時代と 刺し違えた画家 中村正義の生涯」。一般の本屋さんでは売っていないとのこと。これだけまわりに詳しい人がいるのだから、いろいろ突っ込んで考えてみようと思う近頃。

http://nakamuramasayoshi.com/_wp/wp-content/uploads/2012/07/book_document.pdf

 
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↓ここ最近、人人展についてこのブログでとりあげています。

【告知(と無駄話)】「第40回人人展」特別陳列「連続する在野」、追悼展示:松 三郎

いろいろと「第40回人人展」の内容が固まりつつあります。(まだ自分の展示内容はフワフワのままなのですが、大汗)
今回の図録の表紙は山下菊二の『昭和20年・夏』(油彩 1974年)。
画集を確認すると、けっこう大きい作品です。展示が楽しみです!
 
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山下菊二の「あけぼの村物語」が東京国立近代美術館に収蔵されたのは2013年(最近!)だそう。オンラインで無料配布している『現代の眼613』に論考が二本掲載されており、興味深く読みました。ひょっとして、この図録表紙の作品もどこかの美術館の常設で見ることになったりして?
美術館に作品が入りきらないのかしら。

この表紙絵のタイトルである昭和20年(1945年)の夏とは、まさに原爆が投下され、敗戦する最中。この『現代の眼613』の二番目に載っている「告発と眼差し 」という文中で指摘されていることを踏まえれば、この『昭和20年・夏』を見ている我々もまた、何かを告発されているのでしょうか。 

引用するより読むが易し。短いので、興味のある方はご一読おすすめします。
 
 
人人展・会が当初「反体制」というスローガンとともに認識されたのは、山下菊二の存在が大きいのではないでしょうか。この絵の図柄や70年代からの「反天皇制シリーズ」などもあわせると、私の浅〜いリベラル耳学問による判断でも、どう考えても吉本隆明とかが浮かんできます。

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画集などを確認すると、山下菊二天皇制につらなる根源的な権力構造の問題、犯罪性(山下菊二の考えによれば、民衆のあいだの階層分化にもとづく差別構造と対応するらしい。。)「加害者としての自己を生んだ基板」と対決し続けたとされているらしい。
それに対して、最近「人人展」に出品している作家さんの作品を拝見すると、隠され見過ごされてきた根源的なもの(たとえば土着の神々や妖怪)、伝統的なものなどを取り上げて、賛美するとまではいかないまでも、どちらかと言えば肯定的にとらえなおそうとしている作家さんが多い(ような気がする)。
戦中戦後の絵や考え方からなぞっていくと、時代の変化を感じました。
 
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 追悼展示は2014年に逝去した松三郎。享年76歳。
1999年に人人会に参加し、14年まで出品を続けていました。
表現主義的で激しい画面と、ドラマチックで無頼な生き様が印象的な方でした。
 
松さんとは、生前何回もお酒を共にしたことがあるけれど、いつも松さんが酔っ払いすぎていたから、殆ど会話らしい会話をしたことがなかった。でもその点は不思議と悔いはないような。
その酔った存在のみで伝わり過ぎているところがある。
松さんのことを思い出していると、我々が必死で重ねている言葉や議論に一体どんな価値があるのだろうと思ってしまう。

人人会のメンバーは、かなり強力な作品を前にワサワサしております。

 

*1:

ちなみにこの吉本隆明考え方自体は「コレで左派ってなんでなの?むしろ保守じゃん!」と実は思っていた。

 その後「この著作を 、 『新左翼の理論家としての吉本 』を知らない現代の読者が読めば 、神話学と民俗学をベースにした文芸批評か政治思想の本としか思えないだろう 」「吉本の経歴とは関係なく 、このテクスト自体から 、政治的メッセ ージを直接的に読み取ろうとすれば 、むしろ社会主義革命の不可能性を示唆する保守的な思想が垣間見えるだろう 。」と書いてあったこの本に膝をうったのだった。どうやら流れを知らなさすぎなのだった!(◎_◎;)

「人人会」のウェブサイトを制作しました!/美術グループのあれやこれや

私が所属する美術グループ「人人会」のウェブサイトを制作しました!
コンテンツもまだ少なく、完全なる素人芸。何か変な所があったら、コッソリ一報下さい…。いろいろと心配ではあるのですが、下記アドレスにて公開中です。
ここ最近、東京都美術館を借りて活動する団体は、インターネットを通じて情報を公開したり、公募したりすることが必要不可欠となっているようです。
 
せっかくなので、簡単に(といっても、けっこうな文量になってしまいましたが)このグループと私の関わりなどご紹介します。もし良かったら読んでみてください。敬称は略しています。

◉「人人会」とは

「人人会」は1974年に日本画家の中村正義を中心に、星野眞吾・山下菊二・大島哲以・田島征三・佐熊桂一郎・斎藤真一、また評論家の針生一郎も関与するなど*1、実はそうそうたるメンバーにて設立された美術グループです。今年で第40回を迎えます。
現在は30人前後の作家が参加し、毎年春先(今年は3月2日から!)に東京都美術館で展示を行っています。
作家あたり5〜6mブースのグループ展+作家による展示企画(今風に言えばキュレーションなのか…)がドッキングした構成になっています。
 
 

◉「反体制」というスローガンについて

74年発足時にとり上げた新聞や、当時を物語るテキストを確認すると、反画壇、反権力、反体制…など、「反○○」という言葉が大きく目をひきます。*2
私はこの団体に関わる上で、こういったスローガンの現在について質問を受けることがたびたびありました。そのような話題で他のメンバーと盛り上がった記憶はありません。また、コンセプトの変遷は、イワユル日本左派の思想史と絡めて興味はあるのですが、今のところ何か結果結論めいたものもありません。
 
ただ、人人会は「反体制」が知的な態度だった時代の流れに華々しく発足した後も、東京都美術館をお借りする形で40回も着実に回を重ねて(しまって?)います。
「反体制」を謳ったこの展示が「公共の施設」に存在し続ける批評的なメッセージも変化していると考えるのが自然だと思います。
他の文章にも書いたのですが、美術運動体としてのグループというのは、10年が寿命とされているそうです。今はもっと短いのかもしれません。もちろん長く続けば良いと、そういうことではないでしょう。
 
反画壇、反権力、反体制…このように続けば、美術グループにとって、コンセプトとは単なる問題提起なのか?それとも「理念」の問題なのか?なかなか曖昧で、またそもそも美的な趣向・表現の同志の集いでもあって、それが思想の上でキッチリ一枚岩でいられるものなのか…現に人人会にもそういった摩擦が存在し、脱退や分裂の危機があったという記録もあります。またそれを経る上で、専門的でマニアック「絵師」的な画風を持つ作家が残ったことは、この会の運命を大きく左右したのではないでしょうか。
 
私自身は、社会運動系の考え方より、中心的な創立メンバーだった中村正義の「個を確立した作家」が「個でありながら連帯することを重要視する」という投げかけが、妙に気になっています。
美術に限らず、常に何かを超越する、ブレイクスルーし続ける原動力は「個人」に宿るもので、逆に「集団・グループ」というのは設立当初から充足していこうとする、守りに入って行く性質を持つもの。このような「個人・個性」vs「全体」という構図は別に私がひらめいたものでもなんでもなく、20世紀の初頭にはあった考え方で、そういった議論をふまえた思想が中村正義にあったのだろうか…?と思ったり。
個性的であろうとし、かつ全体へ向かって生きる「人間」の矛盾や葛藤。
著書などを読んでいると、この人の考える「美術」が時にとてもプラグマティックにうつる時もあって斬新に感じてしまうことがあります。

 

◉「場」としての人人会と私

私は美術大学はおろか、中学生からのドロップアウト組。社会からも断絶されており、運良くこの場所に半ば拾われるような形で出会いました。20歳前後で気づけばここらにおり、先人を尊敬こそすれ「発表場所ができたラッキー!」という感情が大きく、今更辺りを見回して「そういえば人人会ってナンダロウ…」となっているわけです。
今思えば多方面にご迷惑をおかけしたのだろうな、、と振り返ることも多く、この会の共同体的な性格に対する思いも格別なものがあります。
会の内部でも、0年代には人人会を「場」として考えるというトピックが存在*3しており、多かれ少なかれそういった意識を持って参加している方々が多いのではないでしょうか。
 
30代のメンバーもいるのですが、いわゆる大型公募展の例にもれず、高年齢化はしています。制作や活動のセオリーから、社会人としてのあり方まで沢山の作家さんの背中を見て学びつつ、もう何回も追悼展を目撃しました。
本当に不謹慎なのですが、作家さんが死んでいくのがとても神秘的で印象深く、影響を受けました。
作家活動には山あり谷あり、全てが全盛期!という人はそういないと思います。そして誰もが老て、低空飛行になって…となると、何かを作り出し、世に出し続けるって一体なんなのか?
意義のあるなしで考えれば、そもそも無駄とすれば全てが無駄なような気もしてくる。
じゃあ「よさげ」に生きること、作ることを人は試みなくなるのか。
 
当たり前のように誰もが自己表現をする時代で、淘汰の流れはとてもはやい。
その中で、十年をまたいでじっくりと作品を考えていく、そういうものに寄り添ったコミュニティがあって良かったなぁと思っています。
ちなみに今度の企画展示は「連続する在野」という題名にてビックネームから「最近死んだ人」😅までを特別展示します。

中村正義、星野眞吾、山下菊二、斎藤真一、大島哲以、三上 誠

佐熊桂一郎、平賀敬、佐藤多持、堀 越雄、沼沢 仁、大熊雅博…

楽しみです!詳しくは下記にて。

hitohitokai.org

 

 
 

*1:豊橋市美術館の説明ページに詳しいのですが:

人人会 | 豊橋市美術博物館

http://www.toyohashi-bihaku.jp/?page_id=912

*2:いろいろ調べていると、この会の設立当初の特色が「反○○」とひとくちに言えるのか?というのも気になります。

*3:参照図録:中村正義と交友の画家たち展 -人人会創立の頃-|刈谷市|刈谷市美術館

2016年~新年のごあいさつ

謹 賀 新 年

みなさまの良い年になりますように!

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年末年始は一家で風邪をひいていました。
思えば、体調を崩しやすい時期。誰かしらが不調というのは珍しくないのですが、幼児を含める全員が風邪+頼みの実母が正月に盲腸(!)になり入院、地獄病棟が続いておりました。
ほんとに皆様、お体ご自愛ください。

さて、久しぶりに「画家の死後」atはてなブログにて更新しています。
このSNSな時代で、さしたる問題はないとは思いますが、また引っ越し(出もどり?)しました。本当は、wordpressでブログとサイトを統合してみようかと思ったのですが、ドメイン移行とか構築とかメンドイ。。。カンタン見やすい&安価が一番っす。前のものは放置…記事はこっちにもインポートしてあります。

もう10年近く前に名付けた「画家の死後」というブログタイトルは「画家の仕事」にかけた洒落だったのですが、けっこう大そうな解釈・ウンチクをつけてくれる人が何人もいました。(中には難しすぎて私がわからないものもありましたw)
引っ越し先では言わずと知れた大哲学者キルケゴールの「死に至る病」(たぶん絶望のこと)をもじって「ポカーンに至る病」とつけていましたが、逆に誰にも意味を聞かれませんでした。いちおう悟りの境地のダルマさんをイメージしました。

なにはともあれ、今年も何卒よろしくお願いします!

T-BOXでの個展「MORTALS」終了しました。雑感など。

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あまり何年目とか何回目とか数えて記念したりすることはないのですが、23回目の個展でした。みょうに感慨深いものがありました。 TーBOXで企画していただくのも既に8回目!

いつも展示に来ていただいたり、購入していただいたりするお客様や、自分の作品を取り扱ってくださる方々、先輩などにお世話になっておるばかりで、ボールを投げ返せているという実感はまったくない。。そういうことを考えれば、「感謝〜!」という口当たりの良い言葉よりも、どちらかと言えば暗澹たる気持ちになるばかり。

回を重ねるごとに何かしら解っていくのかなと思いきや、未だ何もわからず。 よって今から絵を描こう、作家として漕ぎ出そうとする人に申し上げられることなど皆無であり、「なんかずっとわからないままなんだよね、ハハハ」ぐらいが限度。情けないかぎりですな。

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TーBOXでは近年、版画作品を中心に展示してきました。(画廊主の意向というのもあるのですが)

木版リトグラフなどの凸版と平版の併用か、オーソドックスな板目木版(凸版)を多く制作しましたが、今回は凹版で制作しました。版表現には、いろいろと考えさせられる事もあったと思います。

絵も1つのメディアですから、頭の中のイメージと出てきた画面というのが完全一致することはないでしょう。だから、画面に出てくる有様に身をゆだね、出てきたものを受け入れ、解釈しながら進めていくしかありません。

版表現はプリントしてみて、初めて自分が何をしようとしているのか分かる。反転させて次元が変わり、刷るというスタンスを踏むことで、「画面」という結果の受け止め方、程よい距離感を自然に学ぶのかもしれません。

年内にリリースできる情報があるかもしれませんが 、今年の展示はこれで終わりです。

来年は3月の人人展@都美術館が最初かな?今年もたいへんお世話になりました!

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個展、来週の月曜日からです!/「波の会vol.9」詳細が決定しました。

来週の月曜日からギャラリーT-BOXでの個展がはじまります〜!東京駅から歩ける立地です。どうぞみなさまお立寄くださいませ〜

前回のバタバタを反省。少し前に告知できてホッとしております。いつも素敵な出演者にめぐまれ、幸せです。ささやかながら軽食なども用意しつつ、お待ちしております!


「波の会vol.9

波の会9s

    日時
  • 2015年10月30日(金) 18:30~(本展会期は26日~31日)
  • 無料・出入り自由
    出演者(あいうえお順):
  • 上運天淳市
  • qumononoss(井村一巴+小川敦生)
  • 3/4*1(trio in quartet solo)
  • 平間貴大
会場:東京・八重洲 T-BOX http://www.tbox.co.jp/ 〒104-0028 東京都中央区八重洲 2-8-10松岡八重洲ビル3F TEL/FAX: 03-5200-5201
---- ※当イベントは、内藤瑶子の個展「MORTALS」内で行われます。 レセプションを兼ねる性質上、展示や公演が見えにくいといったトラブル等については責任を負いかねます。 個々のパフォーマンスにおいての注意点は、その場でお知らせします。ご理解いただいた上、お気軽にご 来場ください!お待ちしております。(内藤) 円波tumblr: http://enha-waves.tumblr.com

じゃらん『大人のちょっと贅沢な旅 2015-2016秋』に鯉の部屋が紹介されています〜

大人のちょっと贅沢な旅 2015-2016秋 (じゃらんMOOKシリーズ)に、パークホテル東京「アーティスト・イン・ホテル」が掲載されております。私の「鯉」の部屋も紹介されております〜。

じゃらんに載っている…。うれしい〜!