個展開催します!2018年10月15日(月)〜27日(土)
今年もT-BOXで個展、今回は通常よりも一週間ほど長く会期をとっていただけるとのこと。ありがたい!
なお、土曜は〜16:00までの営業、日曜が休廊なので、ご注意くださいませ。
いつも間違えてしまう方がいらっしゃいます。
内藤瑶子展◉2018年10月15日(月)〜27日(土)◉11:00〜19:00土曜日は16:00まで ※日曜休廊
作品、いつもにも増してナンジャコリャ感!
そして、毎年企画してくださるT-BOXオーナー・高橋さん。
出産後も暖かい言葉をかけていただいて、本当に感謝しています。
みなさまのお陰様で、なんとか色々な仕事や、子育てをしながら制作もできています。
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美術の歴史は基本的に男性がメインですし、その背後にあるのは性別問わず「全身全霊をかけて作品に取り組むべし!」という精神論。それはもっともなことであります。
ですが、誰がいつ、どんなタイミングで制作に取り組んでも、それ自体蔑められるべきものではありません。
「芸術家たるもの、常に薄暗いスタジオにこもり、廃人の形相でのたうちまわってろ!」
こういうイメージが古風なものとなりつつあって、私はホッとしています。
近況/中村忠二展@練馬区立美術館、公募展落選しまくりの画家?
*1:図録38p〜39p
「うちわと風鈴展」明日まで/長谷川利行展@府中市美術館「悲劇の画家」から今まで
ギャラリーアビアントで開催されている「うちわと風鈴展」一昨年参加したご縁で今年も出展させていただいています。明日、14日まで。
浅草のアサヒビル(通称:うんこビル)の近くに行くよ!という方がいらっしゃいましたら、是非お立ち寄りくださいまし。
また、「パークホテル東京 ART colours Vol.26展覧会 ー井の底ー 成田朱希×内藤瑶子 展」も開催中です。
展示は公共スペースが主なので、どなたがいらっしゃったか?よくわかりません。
ぜひ反響お待ちしております。どんどん恩着せてください。
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何しろ、私が絵を志したのも2000年に神奈川県立近代美術館(当時は鎌倉)で長谷川利行の回顧展をみたのがきっかけで、その後もずっと縁がある、自分にとっては特別な画家です。
たとえばティーンの頃にX JAPANにハマった人は、どんなにアルバム発売が持ち越されようと、なんだかんだで絶対にXを否定しないでしょう。
それと同じで、若い頃に転機をもたらした特別な画家というのは何人かいて、いろいろな価値基準があろうと、最後は「やっぱ最高だよね〜」となってしまいます。
初心に立ち返ってがんばろうという気持ちになりました。
今回の展示を見て、長谷川利行という画家の紹介の仕方がいよいよ変化してきたな、と感じました。
なぜ日本でゴッホが流行るのか。いろいろな研究があるようですが、派手な悲劇な人生ストーリーや美談はもちろん大きいでしょう。利行も野垂れ死に近い形で亡くなっていたことから、死後「日本のゴッホ」という文句で売り出されていたようです。
利行の絵は、たとえば佐伯祐三、鴨居玲などのような劇がかった悲嘆や苦悩に似合う暗さはなく、むしろ明るく輝いていたり、朗らかな絵が多い。
だから、2000年の回顧展の時点も仄暗い演出は感じたけれど、個人的な感傷にひたることよりも、日本内外の潮流に目配せしながら自分の「絵画」を展開するような部分にもフォーカスされていたのが印象に残っていた。
それから18年経って今回なんて副題が「七色の東京」キャッチコピーが「ぶらり、いこう。」である。
76年には「己に絵を描かせろ!」って泣き叫びながら血を吐きつつ、転がり落ちて死んだことがポスターになっていた*1のに、えらい違いである。
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個人的には、今回の図録で今までの「悲劇のストーリー」上では悪役っぽかった画商・天城俊彦 a.k.a. 高崎正男の活躍や、関連した展示がまとめてあったのがとても面白かった。原精一とか脇田和、森芳雄……いろいろと扱っている。
神奈川近代にも収蔵されているのもあるので、絵を描き始めた時よく参照したり見に行ったりした。(なんか自分は参照先が変なのだが)
こういう人がいたから、自分も絵を楽しめているんだなぁ。
ちゃんとした服を来て、菓子折り持って二科展のお偉いさんに挨拶回りする長谷川利行像*2もなんか自然で、親近感を持てた。
200号の《鋼鉄場》も発見されたらいいのにねー
「中和・抽象・若手選抜展」25日(月)から
明日から、銀座の中和ギャラリーで開催される抽象画のグループ企画に作品2点出展させていただきます!
中和ギャラリーは新橋と有楽町の中間地点あたりにある、抽象画を主に取り扱うギャラリー。私の作品はほぼほぼ具象ですから「ナゼに?」と思われた方もいらっしゃると思います。
いつも声をかけてくださる御子柴さんが、一昨年に作っていた版画などを見て仲間に入れてくださいました。
ご来場お待ちしております!
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今回も頑張って描かせていただいていたのですが、制作の途中では思いもよらないような画面が次々とでてくるでてくる。
思えば「抽象画を描こう」と描いたことがない。いつもは何かを描く過程の行き着く先に「それ風」になってしまうだけのこと。
筆致を生かした作品が全盛の世の中ですが、形だけをつかもうとするあまり、なんだか張り詰めたかんじのものが出てきました。
息子が幼稚園の年中になったので、少々集中力を要する作品も作れるようになってきました。
「中和・抽象・若手選抜展 ~CHU CHU SHOW~」
- 2018年6月25日(月)~30日(土)
- 会場:中和ギャラリー(銀座)
「俳句へのオマージュ」会期中です。|江戸の美意識と「野暮」
「俳句へのオマージュ」は初めてご一緒する作家さんばかり、そして初めて展示させていただく画廊、そしてテーマが俳句。ちょっと意外なお誘いでした。
それにしても、いろいろと展示させていただく機会があるのはありがたいこってす!
そんな中、企画者・御子柴さんにご紹介いただいたのが一茶の句でした。
身近にある情景から政治風刺、動物とかのかわいいやつまで沢山あります。
自分はこれを選んでみましたよ。
ざぶりざぶりざぶり雨ふるかれの(枯野)哉
「享和句帖」
ほちやほちやと薮蕣(やぶあさがほ)の咲にけり
「文化句帖」
一茶は二万句もあるので、全集をパラパラしているだけではまったく決まらず。
オノマトペ系から選び、冬の雨の句はもともと描いてみたかったので……などなど、ネット検索なども駆使して調べました。
ちなみに、「ざぶりざぶり」は秋の句もあって、
ぬくき雨のざぶりざぶりと野分哉
「西紀書込」
ざぶざぶと暖き雨ふる野分哉
「西国紀行書込」
などなど、けっこうざぶざぶ系は気に入っていた(?)ようです。
朝顔ホチャホチャは、もうそれだけで気に入りました。
キャプション表記などはは上のものを参考にしています。
特に岩波シンパというわけではないのですが、一般民向け通史の新書とかではお世話になってます。
『 時代を詠んだ〜』は文学としての一茶研究ではなくて、一茶と、一茶が生きた文化文政期の関わりが主な内容。
この本によれば、どうやらこの時代は、いわゆる上流の「江戸っ子」文化ではなくて、「いまだ洗練されていない中・下層民の生活感を肯定する『野暮』に代表される文化」が主流だったそう。
一茶さんも自覚的に「庶民派一茶」としてセコセコ俳句を作っていたようです。
どちらかと言えば、ストリート系か。
「粋(いき)」「通」とかじゃなくて「野暮」……。
自分もどちらかといえば野暮。
なぜ一茶を勧められたのか、なんとなくわかるな〜。
BSフジ「ブレイク前夜」|展示いろいろ
ーーこれからの予定●【グループ企画】:作品2点「俳句へのオマージュ」2018年6月2日(土)~10日(日)・ 東京九段耀画廊
もしかしたら、1〜2企画くらい追加になるかもしれません。
ご都合よろしい時に、ぜひお越しくださいませm(._.)m
人人終了・テレビ・絵を買ったその後
無常だね。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」かね。流れがはやすぎてやばい……(@o@)
とりあえず、お知らせすべきなのは次の2点
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「第42回人人展」が無事終了。たくさんの方々のご協力なしにはできない展示です。尽力下さった方々、そして来て頂いたお客様に感謝とお礼を申し上げます。
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BSフジにて毎週火曜 21:55~22:00 放送中のテレビプログラム「ブレイク前夜~次世代の芸術家たち~」に、縁あって出演させていただくことになっています。
やっぱりテレビってすごい。私の活動にあまり興味を示さない息子だが、一気に尊敬ムードに。
絵に興味のない旧友、親戚連中などの「風来坊・ないと〜」への視線に変化が!
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人人展については、展示の様子などをまとめたものを編集中ではあるのですが。
特別陳列でフューチャーしていた物故作家は、おなじみの(?)中村正義(1924 - 1977)と佐熊桂一郎(1929 - 2006)。さまざまな方面の方々の協力あっての企画なので、そのセレクトにも当然さまざまな事情が絡みます。
飾ることになった今回の佐熊作品は、絵の上からなにやら感情的に内容をうち消そうとするような筆致の入るもので、かなり重ねて描いたようなごそごそしたマチエールに産みの苦しみを感じます。
そういえば、某所でけっこう前に購入した佐熊作品。慌ただしすぎて未開封でしたが、出してジロジロしてみました。けっこう人人に出ていた作品に近いかも。
佐熊さんといえば、劉生に影響を受けた風の童女、名前を「おちかさん」という絵解きが有名。
江戸時代でも、近代化する過程でも、基本的に精神障害のある子供は納屋とか座敷牢などに匿うのが普通だったそう。佐熊さんが幼少期に伊東の温泉街の「座敷の隅」で会った「おちかさん」はそういった子だったようで、後の絵に大きく影響を与えているらしい。
私の母親も、地方のいいお屋敷の中に座敷牢があるのを見たことがあるそう。意外と身近なんですね。
今では考えられないけれど、江戸時代から文明化するにあたって精神障害者はどんどん社会からは締め出される方向にあって、そのすべてのしわ寄せが家族への負担になっていたとのこと。(↓この書籍より↓)
たとえば、佐熊さんと同じく人人会の創立メンバーだった斎藤真一(1922 - 1994)は瞽女さんを大きく打ち出した絵で人気を博していたけれど、佐熊さんの言説を見る限りでは、そういった事柄を強く訴求したかったわけではなさそう(?)。
ともあれ、この画家は本当にこういう絵ばかり。
ワンパターンを超えて、得体の知れない迫力のある画業です。
ちなみに、ためしに額を開けてみたらマット台紙で覆われて見えなかったところに新たなマット台紙と予想外に大きな画面が出現。どういうこと!?
よく見たら、水彩じゃなくて油彩。中はキャンバスになっていた。